《寺山修司にあっては、句も歌も、およそ自身の感懐を吐露するというようなものではありえなかった。彼は、句や歌を作ることによって、自身の感懐なるものを作りあげたのであり、場合によっては自身の物語、自身の出生の秘密さえつくりあげたのである。
たとえば塚本邦雄はその寺山修司論「アルカディアの魔王」において、「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」ほかの歌を引いた後に次のように述べている。
「反生活と人間のなからひに、引きさかれつつ現れた、父、家、青年、祖国、その属性を、もはや私に即して読む愚を繰返す読者はあるまい。これらのヴォカブラリーを以て彼の思想的深化を説くのも、作者にとっては有難迷惑にすぎないだらう」
塚本邦雄のこの指摘は何度繰り返されても過ぎることはないだろう。いまなお「私に即して読む愚を繰返す読者」が少なくないからであり、しかもそれが驚くまいことか歌人に少なくないからである。(……)寺山修司は嘆声を発したのではなく、嘆声を作ったのである。あたかも劇のなかの一青年の嘆声を台詞として作るように作ったのである。》――三浦雅士「二重性の連鎖――寺山修司の言葉」(思潮社『続・寺山修司詩集』解説)