《私は一九四五年にヴォルスと相識った。頭は禿げ、持物といえば酒びんに頭陀袋だった。その頭陀袋には、世界すなわち彼の関心が入っており、びんのなかには彼の死が詰めこまれていた。彼は以前は美しかったのだが、もうその頃はかつての面影はなかった。当時三十三歳だったが、そのまなざしに輝く若々しい悲しみのかげがなければ五十歳と思われたことだろう。誰もが――誰よりもまず彼自身が――とうてい長生きはできぬと思っていた。》――サルトル「指と指ならざるもの」(粟津則雄訳)
ヴォルス(1913-1951)は、おもにフランスで活動、放浪のうちに生涯を終えたドイツ人画家。
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《彼には自分が、われわれ人類の一員たることが、いかにも不思議に思われた。「人の話では、おれは男と女から生まれた息子だそうだ。おどろき入ったことである」*。彼が仲間たちと接するときの礼儀正しさもなんだか怪しげなものだった。仲間たちより、自分の飼っている犬のほうが好きだった。もともとは、われわれだって、彼にとってなんの関心もない存在ではなかったのだろう。だが、途中で、何ものかが失われてしまったのだ。われわれはおのれの存在理由を忘れ去り、気ちがいじみた行動主義に身を投じてしまったのだ。もっとも彼は、例の礼儀正しさから、それをわれわれの «活動» と呼んでいた。》――サルトル「指と指ならざるもの」(粟津則雄訳)
*ヴォルスが自分のものとしたロートレアモンの句
《彼が頭陀袋をあけると、なかからさまざまな言葉が立ち現れた。自分の頭で見つけたものもあったが、たいていは、さまざまな書物から写しとったものだ。どの引用文のしたにも、必ず作者の名前をていねいに書きつけていたが、それらの言葉のあいだになんの区別もつけてはいなかった。なにはともかく、そこには出会いと選択とがあった。人間による思想との出会いや選択があったのか? そうではないのだ。彼の考えでは、事情は逆であった。同じ頃だが、ポンジュが私にこんなことを言った。「考えるんじゃないんだな。考えられるんだよ」。ヴォルスもこの考えを認めたことだろう。》――サルトル、同前
考えたのではない。考えられたのだ。
私が選んだのではない。むこうが私を選んだのだ。
格言が私を選んでやってきた。
そういうことだろう。
引用の末尾にある「他者存在」という語、もしかするとサルトル哲学の玄関の鍵ではないか。彼の哲学については、「人は自由であるべく呪われている」といったキャッチフレーズ的なものでしか知らないのだが。
サルトルはほかにも「眼と眼ならざるもの」のなかで、「‹他者› の存在は、内部の ‹他者=存在› においてのみ現れる」「存在は他性によって定義される。ものは、それが現にそうであるものではないということは、ものの本質に属している」「他者存在が存在の法則であるとすれば、指は真の意味では指ではない」などと述べている。
これも思いつきだが、エルンスト・マッハと重なるところがありそう。
ひどいなこれは。
「眼と眼ならざるもの」ではなく、「指と指ならざるもの」