「Graffiti」というのは自らの創作に対する蔑称であって、呼称として受け入れられないという当事者たちが初期世代には多いという話です
彼等がやっていたのはあくまでも「Art」であって「Graffiti」などと勝手に区分されるべきものではない
カリブ系移民のアーティストたちには発表の場も機会も与えられなかったから、ストリートで彼等のアートが発露しただけ
バスキアとかキース・へリングとかは、その第一世代のスタイルを活用することで戦略的に〝Art〟のマーケットに打って出た。ある種の搾取がなされた、という彼等の認識
一点としての美術もいいけど、連作の良さみたいなのがあって、河原温の「TODAY」のシリーズがずらっと揃っている展示に偶然行き当たったときは感動したな。