なんか久しぶりに鶴見俊輔の「限界芸術」について考える一週間だったなあ。それは先週末、まさに「限界芸術」たちがめくるめく現れ、それらが塊になって待ち受けてるような現場に行ってきたからなんだけど。
そしてそれらを体感することのインパクトは並大抵のものではなく、書物やテキストへの欲望がしばらく抑えられるのだ。もしかしたら、肉体でもって栄養分や酸素を消費しまくるせいで、脳に栄養が回らないということもあるかもしれない。
体験は何者にも勝る、みたいな体験至上主義には、僕はいつでもクエスチョンを投げかけ続けたいが、こういう時はおそろしいほどに説得力を感じる。
で、思い至る。
ああ、そうか、体験至上主義者は体験を消費するだけだからいけすかねえんだ、と。
体験することそれ自体はやはり重要で、それをどう感じどう考え次の行動に活かすか。それが、自分の中で咀嚼して嚥下されダイジェストされることで、ようやっと意味を成す。
@sinovski ぼくがなぜ〝エンタメ〟の一語で括られるあれこれが苦手なのか腑に落ちました。とにかく体験が消費に集約されてしまっているからじゃないかなと。生み出す側も消費材としてのクオリティを追求するからコアの部分で陳腐化してしまうんですよね。たぶん。いや、どうなんでしょう。
@sinovski ははは。あるかもしれません。でもまあ当方が屈折してるだけなのかもしれないなと思ったり。
@mario_tauchi こういう人たちこそ体験は何ものにも勝るって言う類いの人たち、というイメージがたしかにあります笑