マストドンを見るようになったのは、ここには(あそこから失われた)知性があると思ったからです。もちろん、ここにあるのも入口に過ぎず、だからその先を掘っていくのは自分の興味、好奇心、問題意識。こういった場所に生まれる湿地のようなものが、なにかの役に立つのだと思う。ここを入り口として、本を読む、映像記録を見る、ジャーナリズムを追う、そういう動機になっている。求めているのはそのような入口。消費とは反対の方向がとにかく必要。そのような場はここじゃなくても必ずどこかに生まれる。90年代のクラブシーンやライブハウスとかはそれに近かった。80年代とかそれ以前はそんな年齢に達してなかったけど、きっともっと豊富に、そんな場があったのではないだろうか。アクセスには手間がいったかもしれまいけど。