『ウーマン・トーキング』続き
続→
話し合いのあいだ村に残る男性は、大卒の教師(読み書きができるので書記係として)と、強姦の被害に遭いことばを閉ざし、男性の格好をして暮らすようになった青年(トランスジェンダーだと示唆される)の2名だけ。教育を受けた男性と、男性からの暴力をうけた男性は、決して女だけの会話を邪魔しない。まるで民主的社会の思考実験をするかのような映画だった。お菓子やお茶といっしょに、ときに笑い声が響く様子はセラピーのようにもみえる。
共同体にとどまり闘うこと。危険から離れて身を潜めること。どちらも、暴力を厭い、自らの身の安全とこどもたちの健やかな成長を願ってとられる措置だ。どちらを選んでも正しいし両方ともとても困難だ。きっとできっこない、無理にきまってる、映画の中でも女性たち自身によって何度も唱えられる。
それでも彼女たちは決断をくだす。そうしなければ生きていけないから。
女性たちの話し合いは、ある登場人物の子孫により『過去』の出来事として語られる。できっこないとおもわれた望みは叶えられた。
でもきっと、そこはまだ旅の途中だ。
闇の中、おずおずと拳があげられる。誰かを殴るためではなく、星をさがして居場所を知り、方角を得るためだ。場所や時代がちがっても、その拳は同じ場所を目指している。
『ウーマン・トーキング』おまけ
オット氏「復讐する方向に行かないのが意外だった。最後まで見たらそういう話じゃないのは分かったし、すごく面白かったけど」
私「女性の性を支配する権力者への復讐は『マッドマックス怒りのデスロード』でやってるもんなぁ」
フュリオサ隊長位のカリスマ性と実力があれば復讐も可能かもしれないけどそれこそファンタジーだね…。