このところ同人関連で色んなことが流れてきて、私はそれに関してはなにも言及していないしこれからも特にするつもりはないんだけど、こんなにも特別な世界だったのかって今更ながら少し怖くなっている。私はあまりにも気楽に足を踏み入れ過ぎたのかも知れないなあと。繊細であり、その繊細さが時にお互いの間に深い溝を作ったり、排除に向かったりしてしまうのかなと。
二次創作は当然全てではないにしても解釈も表現も大幅に個人の自由が許されている世界だと思っているので、他人に書くなとかそんな装丁はおかしいとか、お前は参加するなとか言えるものじゃないという、私はそういう捉え方をしているんだけどそれでいいんだよね。だとしたら自分の嫌いなものや苦手なもの、許容できないものは極力自分の目に入らないように、自分なりに工夫したり決断したりするしかないと思っている。自分が好きなものを好きなように書ける自由と、そこに生まれる密かな満足感を私は愛しているし、今はもうそれだけでいいと思っているよ。
年単位で長い間見続けてる同じ夢ってあるよね。三つくらいあるかなあ。忘れた頃にまた見るみたいな感じに、気づけばもう長いことそれを繰り返している、そんな夢。何かしら意味があるなんてこともよく言われるけど、もう今では意味なんて考えていない。たまに夢の中でも、これは夢なんだけど現実もこれと同じで目が覚めてもここにいるんだって思っていて、そして本当に目が覚めた時にちょっとだけ混乱する。あれ、これ大丈夫なの私?って最初にその感覚体験した時は不安になったりもしたけど、それも今では、ああまたあの夢かって頭のどこかで理解しつつ夢を見続けている。だから目が覚めたらちゃんと夢と現実は切り離されているし不安になんてならないけど、その先を確かめたいのにいつもその前で目が覚めてしまうというもどかしさと格闘する羽目になった。
映画やドラマのインプットは結構順調に捗っている気がするので、並行して小説やエッセイなんかの文章のインプットをもっとしてかなきゃならないな。それあってのアウトプットだなとつくづく思う。心を潤わさないと、私みたいな素人初心者が文章や小説なんて簡単に書けるわけないもの。
このところずっと寄稿するための原稿を書いていた。久しぶりに期限のある創作だったから、少しずつ同時推敲しながら書いて、最後余裕をもって見直して提出…と想定していたら、そこが私で、案の定全ての配分を間違えて最終的に期限より数時間ほどお待たせしてしまった。主催者さん、とても寛容に応対してくださった上感想まで届けてくださって、素敵だなあ、ありがたいなあと嬉しくなるあたり、やっぱりお前は呑気過ぎるにも程があると思ったりと、本当に申し訳ない限りのお粗末さ。もう同じ失敗はしないと肝に命じ。でも、それはそれとして久しぶりにすごく楽しかった。書きたいことを書けるってこんなに楽しいことなんだなあと再認識した。
全然長い話なんかじゃないのに。どうしてぎりぎりになっちゃうのかなって考えたら、その時の気分を優先してしまうからだなっていう答えが出た。趣味だし仕事じゃないんだからって私はよく言うけど、そしてそれは確かにそうなんだけど、提出先と期限がある以上シビアに現状を見て工程管理できなきゃだめなんだよ、るみさん!と、何度目かの反省。
映画と本とアートが好き。独り言のようななにか。時おり小説もどきの二次創作をしたりする大人。好きな時に好きなものを観て好きに話すだけの人です。