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たとえば「日本語族」と「日流語族」という概念がそうであるように、ある言語をどう呼称するか、という議論は常に政治的なものになるわけだけれど、おれは正直なところ、けっこう辟易しちゃうんだよな。
公正さとか、正義の観点でそうした話がなされるのは大歓迎なんだけど、多くの場合、それよりもナショナリズムの文脈に回収されてしまうから。

社会的少数者が自らをアイデンティファイする際にナショナルな表象が役に立つことは実際にあるし、またそれによってそうした人々が現にパワーを得てきたというのも歴史的事実なんで、ナショナリズムを一概に悪く考えるのは違う、という話はわかるんだけど、それでもおれは嫌いなんだよ。人間や人間の文化を実態のよくわからんふにゃふにゃした寄り合いの下位に置く発想そのものが。

おれの理解では、たとえばある人が「在日コリアン」であるというのは、その人はある単一のネイションの枠組みでは捉えきれない存在であるということだ。内面的なアイデンティティの観点では当然そうだし、制度的な現実としてもふつうにそう。
まあそれは実生活上きわめて多大な面倒を喚起しうるし、現におれはとても面倒な思いをしているわけだけど、それでもそういう人々の一員であるということは、おれにとってけっこう好ましいことだし、誇らしいと言ってもいいと思う。
だからかどうかはわからないけれど、自らや他者をネイション=ステート=人と規定してしまうような筋の話は好きじゃない。

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