おれの理解では、たとえばある人が「在日コリアン」であるというのは、その人はある単一のネイションの枠組みでは捉えきれない存在であるということだ。内面的なアイデンティティの観点では当然そうだし、制度的な現実としてもふつうにそう。 まあそれは実生活上きわめて多大な面倒を喚起しうるし、現におれはとても面倒な思いをしているわけだけど、それでもそういう人々の一員であるということは、おれにとってけっこう好ましいことだし、誇らしいと言ってもいいと思う。 だからかどうかはわからないけれど、自らや他者をネイション=ステート=人と規定してしまうような筋の話は好きじゃない。