正しくないものでも好きだったりすること、ふつうにあるじゃんな。なんか、「自分が好きなものは絶対的に正しくなきゃダメ」、みたいな観念があるんかな、「ファンダム」には。けど、好きなものと自分は別なんで。
バタイユに言わせれば、文学の価値は道徳の彼岸、すなわち悪を描くところにあるんだし、といううんちくは置いておいても、好きなものの正しくなさを受け入れたうえで、付き合い方を考えるのが、ふつうにいいと思うんだけど。
どこかで割り切ってなきゃ、文学読めないし、古典落語も聞けないし、スプラッタだって観られないし、ポケモンだってやれないじゃん。
こういうことかも。別として切り離すのではなく、そういうものとしてまず受け止めること。
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