なんか、インターセクショナリティ概念をなんとか否定したいという人の中で、インターセクショナリティを「かわいそうランキング」のような意味で誤認しているケースがあって、それどういう理解のしかた?とよくわからなかったのですが(少なくともインターセクショナリティをそうやって分析の際に定義して使っている研究者や実践者を見たことがない)、
昨日ふと思ったのですが、それってインターセクショナリティを理解する以前に発想の枠組みとして、新自由主義的発想の枠組みの中でインターセクショナリティを解釈しようとしてしまっているから競争やランキングといった発想になってしまうのかなとなんとなくガッテンがいったような気がしました(なんとなくですが…)。
コリンズとビルゲもしっかりと本の冒頭あたりで新自由主義と社会民主主義の違いを説明していて、特に人々の参加型民主主義を大切にする社会民主主義がインターセクショナリティと関連していると説明していると思うのですが(反対に新自由主義は人の生活よりも市場原理を最優先してしまうためインターセクショナリティの考え方とは合致しない)、新自由主義が理解の前提になってしまっている場合にランキング的なものとして解釈してしまうのかなと思いました。

話は変わりますが、イデオロギーについて説明するとき、なぜか日

日本では「資本主義or共産主義(社会主義)」みたいな二項対立のみで説明するケースが多くないですか?私の気のせい?
何が言いたいかというと、社会民主主義やそれを採用するいわゆる福祉国家の国々の存在感が、こういう大きなイデオロギーの話をするときにけっこうすっ飛ばされちゃってる気がするのですが…
社会民主主義は日本では社民党が採用していますよね。

社会民主主義をちゃんと説明しないで資本主義vs共産主義のみみたいな解釈だけを提示しようとする感じが、めちゃくちゃ資本主義(新自由主義)っぽい感じしますよね。

フォロー

なんか、で始める文章は不躾で良くないね…反省。。

ログインして会話に参加
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。