「彼(あ)れ」と「此れ」の話
む、難しい…論語は実益書だったんだな…荘子は哲学っぽい
「彼(あ)れ」と「此れ」の話〜斉物論篇 第二の三
私にとっての「彼れ」は、あちらにいる人にとっては「此れ」であり、逆にあちらにいる人には「彼れ」は私にとっての「此れ」である。つまり、彼れと此れは対偶であり、同一のものである。
善と悪についても同じである。
すなわち絶対の境地に於いて、善悪は同一となり対立はなくなる。これを道枢という。
だから、善と悪を分けることは真に賢くはない…ということらしい
荘子、一段が長いし喩えが多いのでひとまず現代語訳だけ読み切ってみた
書き下しまで読むか微妙だなあ〜…なんか…アンチ孔子感が強かった 弟子の顔回くん(イマジナリー)に恥かかせる創作するのはやめなよぉ〜という感慨 そのわりに子路が出てこないのはなんでなんですかね
荘子:孔子のことを「天これを刑す」(礼(=世俗的な価値観)にとらわれて自らを苦しめてて乙w)とか作り話の中で揶揄ってるのだけど、あまりに似たような話が多すぎて、無我の境地を目指すわりに意識しすぎというか、ツンデレみたいなことになってないですかね…
あと創作話で弟子の顔回くんの登場回数が多いのに子路ニキが全然出てこないのに偏りを感じる 顔回推しなのは分かるけど、子路のことも荘子観で書いてみてよお!(別キャラ推しの作者にあのキャラも書かせてみたいの構図)
喩えと創作がほとんどで、たまに荘子自身の話が出てくると大体ライバルの恵子を弁舌バトルで言い負かした話 なんかこう…色々イメージと違った
荘子、孔子とか春秋のころの王侯とか歴史上の人物の名前が出てくる だけど勝手に寓話として書いてるらしい
…パロディってこと?