ホモ・サピエンスが種として存続出来るか、最近かなり懐疑的。

そもそも、「サピエンス」なるものが果たして「生命」にどこまで必要なのか、という問題は改めて考えてみる必要があると思っています。どうして「ホモ・サピエンス」に繋がる一連の種が存続してきたのか、それを可能にした環境面の要因は何だったのか。

個人的には氷河期と間氷期を繰り返す特異な時期に重なった「幸運」が何かしら影響したのではないかと妄想していますが、そうだとしたらホモ・サピエンスが存続し得たのはかなり「ラッキー」だったのかも知れないです。

だとしたら、それを自らの行動で破壊しつつある以上、この先自らの存続に不適な環境に変わって滅亡へ向かうのも宜なるかな、と。そして、後続の「サピエンス」を得た生命も、地球上では当面、あるいは二度と現れることはないのかも知れません。

偶然と幸運も現在の進化に大きく寄与したと仰るように思います。一方、これまで直観的には、人間のような高度?な知能を持つ種が出てくることは極自然、必然な気がしていました。地球全体の系で考えたら熱力学第二法則にも合うように思います。
遠い未来に太陽が膨張して地球が焼き尽くされるまで続くとは思えませんが、人間の今の営み自体は自然に反してあまりにも傲慢で、自ら滅びの道を加速させているようにも思います。
まだ悔い改める余地はあると思いたいですが、今は暗い未来ばかり見えてしまいます。

地球温暖化の問題は20世紀の終わり頃にはある程度の確度をもって語られる様にはなっていたのですよね。本当はその時点で舵を切っていればまだ何とかなる可能性はあったと思います。

それでも更なる精度がなければと反対する層に応えるべく、研究者もその向上に努めてきて、最近になってようやくそれが認められるところまで来て、今度こそ合意が採れるかと思いきや、先日のCOPも結局妥協的な合意しか引き出せなかったと。現時点の状況さえ既に間に合わないくらいなのにも拘わらず、です。

そのくらい、ホモ・サピエンスは大規模なネゴシエーションが下手で不得手なんですよね。技術的には地球規模で活動するテクノロジーを手にしていても、それを適切に使うために一番必要な能力が欠けているんだと思います。その点であまり希望は持てないですね…。

90年代ですが、大気中の二酸化炭素を有機固定しても結局また二酸化炭素になってしまうので、有孔虫を大量に培養して海洋に放てば、大気中の二酸化炭素を無機物の炭酸カルシウムに固定出来るので、アイディアとして二酸化炭素増大に対して真剣に使った方がいいのでは、という議論がありましたが、今思えば二酸化炭素削減と同時にその方面の研究、実施を行なっていればと悔やまれます。

経済活動や利権などの欲を優先して足元の火事に気づいても対処しない様は本当の知性を疑うばかりですが、もう本当に手遅れかと悲観的でいます。次世代の子ども達には申し開き様がありませんが、、、

二酸化炭素の固定化先は重要な課題の1つですが、最近になって北極海を中心に海洋酸性化が進んでいることが確認され、海洋中の殻を持った生物がカルシウムを奪われて生存数が減っている、などの影響が出始めていることがわかってきています。やはり人類の出した二酸化炭素を何処までも自然界に受け止めさせようと発想するのは、別の悪影響が出てくる可能性を考えないと不味いだろうと思います。

data.jma.go.jp/gmd/kaiyou/db/m

フォロー

ありがとうございます!
確かに人為的改変にはまた別の問題がありそうですね。
尤も、過去地球上の酸素発生が、大量の光合成細菌による酸素の大気汚染と鉄の酸化の結果、を考えると、生物は新たにまた環境に適応した種が今後台頭してくるとも思いますか、熱に強く、高濃度CO2に対応した植物などが今後繁栄する可能性もありますね。

ログインして会話に参加
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。