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財務省?が良い顔をしないので皇室発行の紙幣を作ろうと考える朝臣たち。

紙なら経済の拡大に合わせていくらでも擦れる、先進的だ、と考えるのは金本位制がようやく終わった我々だから言えるので、これは絶対の権力者が債務を踏み倒せる危険な貨幣。我々だって、紙切れになった軍票や新円切り替えのことを考えればそんな物で支払いは受けたくないのが当然である。

五百年早かった。

一方、中世の本を読むと、その前の時代よりも「書類」の重要性が増していて面白い。現実の武力も重要だけれども、勝つためには院宣、綸旨が必要だったり、土地の権利の証文があったり、琵琶の楽譜だったり、実にいろいろな文書が日本中を行き交っていたことがわかって面白いのです。

 

太平記、貨幣関連のこの話は続きがあって、後半の八幡連歌の夜にとある老武士が語る、北条家黄金時代の清廉の士、青砥左衛門(どうも葛飾区青砥に住んでいた人らしい)の逸話が出てくる。

ある夜川を渡ろうとして十文の銭を落とした左衛門は、五十文の松明を買ってきて夜の川を探し、銭を取り戻して喜ぶ。誰かがそれを笑うと彼はこう答える。

「十文の銭は、ただ今求めずは、滑川の底に沈んで、長く失ふべし。続松を買ひつる五十の銭は、商人の家に留まって、失ふべからず。我が損は商人の利なり。かれとわれと、なんの差別かある。かれこれ六十の銭、一つも失はざるは、豈に天下の利にあらずや」

この時代は中国から輸入していた銅銭が流通しており、金には限りがあって増えることはない。彼の言っていることは本質を射ているのです。

中年になってから読むと面白かった  

まあこういう面白い話の間に、ごった煮のように剣と魔法と虐殺の世界があるので手放しで褒められないのですが、この本。

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