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 大学で担当している講義は「社会思想史」とは言いながら、プラトン、アリストレス、前期ストア、中期ストア、後期ストア、と妙に「古代」の部分が分厚かったり、17世紀科学革命と20世紀科学革命の関係(学生さんに眠らせずにするのはかなり工夫がいる)、世界システム論と新自由主義など、かなり「自由」にやらせてもらっている。

 2月で講義が終わり、毎年「哲学・思想」に関心がある学生さんから、「今後の参考図書」について質問が来る。

 これは実は悩ましい問題である。所謂「現代思想入門」の類は避けなければならず、かといってカント、ヘーゲル、フッサール以降の現象学は原書=翻訳といってもこれはいきなり学部生には無理である。

 そこで、例年応えるのが、岩波文庫に入っているプラトンである。「パイドン」、「パイドロス」、「饗宴」は勿論、「国家」や「法律」も少し授業で解説しておけば、学生さんにも読める。

 そこで、前期の「国家」と後期の「法律」や、あるいは、アリストテレスとプラトンの違い解説したりする。

 アリストテレスは、その後の西欧哲学の基礎となっているとは言え、学生さんが一人で読み通すのは難しい。そもそもアリストテレスの著作の多くは講義の寄せ集め的な所があり、必ずしも統一性がとれていない部分もある。

 とは言え、プラトンにしても、元来はすべて対話篇といわれているように、すべて弟子達が耳で「記憶」していたものであるから、人の「記憶力」というのは大したものである。

 また古典ギリシア語は、造語や言葉遊びなどにとりわけ適した言語であり、ハイデガーがやたらと有難がったのも一理ある。
 ただし、「古典ギリシア語とドイツ語だけが哲学するに値する」という主張は凡庸なナショナリストであるハイデガーの「妄想」に過ぎない。

 またプラトンの哲学のモデルが「数学」であり、アリストテレスのそれが「生物学」であるとして、後者の「生物」の定義が「自己の複製」という点で分子生物学に近い、ことなどは学生にも理解し易い。

 次は、やはり岩波文庫で翻訳があるルクレティウスやキケロ、セネカなどのストア派である。これは倫理学的な短いものが多いので、少し解説をすれば読める。ただし、ここで前期、中期、後期ストアの区別とネオ・プラトニズムの解説をする。

 実は高校倫理ではストア派の名前は覚えるが、ネオ・プラトニズムは教えない。しかし日本には田中美知太郎訳のプロティノス「全集」がある。こんな東洋の国は珍しいのでは?

 また、政治思想上のキケロの位置、国際私法としてのローマ法などの話をするので、どうしても「古代」が長くなるのである。

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