先ほど をまだ途中までしか見ていないと書いたけれど、冒頭の部分については先行してトゥートしておこうか。

プルミエ、つまりシーズンの開幕初日、スカラ座では特にこの日は観客もフォーマルを着用したハイソサエティが占める。幕開けの前に国家が演奏されるのも例年通り。その後に「第9」の一部が流されたのはコロナ禍が多少落ち着いて恙無くプルミエを迎えられたことを祝してのことか。

で、このプルミエに合わせてこんな事件が起きている。

>伊スカラ座入り口にペンキ、環境団体が抗議行動 | 時事通信ニュース
sp.m.jiji.com/article/show/286

実はこうした動きは例年何かしらあって、開場前に劇場前の広場に集まったハイソに向けて腐った卵が投げつけられるなんてことも過去には起きている。

「ボリス・ゴドゥノフ」自体は帝政ロシア下の民衆たちの姿を描いた側面もあるのだけれど、上演される劇場はどうしてもアッパークラスの集まる場所と下からは見られがち、という何とも皮肉な構図があることも、 ファンとしても頭に置いておかないといけない。 [参照]

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さて、 の「ボリス・ゴドゥノフ」を見終えてのでレポートを。出演者等についてはこちら。
nhk.jp/p/premium/ts/MRQZZMYKMW

これまで「ボリス」は基本的にボリショイ劇場の上演を見ることが多かったので、自然リムスキー=コルサコフの手が入った版を聴いてきたことになる。今回は1868年の原典版による上演。版の問題はこちらが詳しい。
>「ボリス・ゴドゥノフ」異版あれこれ
a-babe.plala.jp/~jun-t/notes/4

聞き慣れた場面が入っていなかったり、オーケストレーションも厚みがあまりないために、全体的にスッキリとした印象。特にピーメンの下で年代記を読んで後に偽のドミトリーになる設定のグリゴリーは、出番がリトアニアに脱出するまでしかなく、その後偽王子になったことは次の場面のシュイスキーの台詞の中で報告されておしまいになってしまう。以降の版を知ってしまっているからという側面もあるが、ちょっと物足りなさを感じる部分でもある。

でも、逆にその分皇位継承者を手に掛けて自らが皇帝の座に就いたボリスに焦点が集中しやすい場面展開になっていたとも言える。

[参照]

演出はボリス以下登場人物がスーツにネクタイ姿(流石に皇位に就いた時には僧衣をスーツの上から纏わせていたが)、ボリショイなら全体的に時代がかったキンキラキンの舞台と衣裳になりがちなのが多分にモダンに削減されていて「ユーロ・ボリス」という雰囲気。しかし、背景に現れるピーメンの年代記やロシアの地図などが効果的に使われていて、聴衆に伝わりやすい整理された演出になっていたと思う。

特に効果的だったのが黙役の殺された皇子の亡霊。ボリスが亡霊に苛まされる場面にだけ登場させるケースが多いが、今回は皇帝即位の場面から既に舞台上にいて常にボリスの周囲につきまとっている。そして、民衆が窮乏を訴える場面で犠牲になった子供たちにその亡霊と同じ柄の衣裳を着せ、それをボリスが眺める形にすることで、ボリスが犠牲にした点で共通項があることを視覚化している辺りはなるほどと思わせる。ボリスの皇位を継ぐ筈のクセニヤが途中で亡霊同様に血だらけの姿になる演出も、ボリスの思惑通りにならない未来の暗示の意図か。

演奏は独唱陣、合唱、オケ全般的に好調。今のスカラ座の実力の高さが遺憾なく発揮された穴のない演奏だったと思う。

リムスキー=コルサコフ版やショスタコーヴィチ版などとの比較をする上で、一番最初の版の上演のスタンダードとして聴ける出来栄えと言える。

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