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先ほどBTした清水晶子先生のトゥートの中の、

【ちなみにここで起きていることのややこしさは、公の領域を縮小し続けた(「私的自由」を極大に解釈してきた)先に生じた問題に個人や私的組織が対応することを余儀なくされてきたところに、今度は突如その個人や組織に対して「公」的性格を強めに見た情報開示や精査の要求がなされる、という捩れにあるように思っている。】

ここ凄い大事だと思った。(※ここで起きていること→今回のコラボ叩きの件)

色々と不快や不穏なことや考えさせられることが多い事件だけれども、やはりこれも個と公の問題なんだなと。何で抑圧への怒りや不満がその根源や巨悪に向かわず叩きやすい所に行くのか(→自分の下を作りたいのだな)、と思っていたけど、この捻れの視点を加えるとそんな単純なものではなく(実際単純な側面もあるだろうけど)、社会・政治問題として視野を広げて議論する必要があることなんだろうな、と思う。
コロナ禍初期にあった感染した人の家や他県ナンバーの車に「出ていけ」と貼り紙するとかから繋がっているんだな、と改めて思った。社会に蔓延る「不安」が「個人の責任」に転嫁、矮小化される感じ。

目についたcolaboへの言いがかりで「男も助けろ」というのも何件か見たし、普通に考えればどこのNPOやNGO、支援団体も、それぞれのイシューに特化した活動をしているので言いがかり以上の何ものでもない。
「国境なき医師団」に、「医療支援ばかりやってないで生活支援もしろ」と言う人はいないだろう。それを言っても言いがかりにならない相手は政治や行政だけだろうと思うが、そっちには行かない。

そして、コラボ叩きに乗る政治家も何人か見たけど、そりゃあ政治や行政に向くはずの不安や不満、批判が、よそへ向いてくれるのだから利用するだろうな、と。
また、面倒くさいのは「AV新法」の時の対立構造も持ち込まれたことによって、その時に敵対していた側や仁藤氏やその周りの人の発言を批判していた側が、不当なコラボ叩きは批判(する)したい、困っている女の子たちのことは助けたい、のだけど、仁藤氏の思想信条に賛同するわけではない、という何をかも発しづらい難しい立場になってしまったこと。

火が拡がったのは、どうにかしたいと思いながら消火活動に加われなかった人も多くいる側面もあるだろうなと。単純に「面倒くさいから近寄らないでおこう〜」とスルーした人もたくさんいるだろうし。

面倒くさい要素が多すぎて、どこからどうしたらいいもんかと思っていたけど、先ほどの「捻れの視点」を持ち込むことで俯瞰できることはあるなと思った。

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