竜騎士の竜尾大車輪はヒートテイル、竜牙竜爪はヒートウィングなのでは?という話をぶるすこでした訳だけど、これはニーズヘッグ征竜戦で邪竜の影がエスティニアンの姿を取った時、ゲイルスコグルを使うことから想像が膨らんで、こんなことを言ったのだった。
作中の視点で言うならば、竜とイシュガルドの人間とが戦い続ける中で、竜騎士が竜と渡り合うために竜の戦い方に自らを寄せていった歴史というのもあるだろうし、竜詩戦争が終結するに際して、エスティニアンという人が仇敵ニーズヘッグとどうしようもなく近似の存在になった経緯というのがあって、それが(エスティニアンやヒカセンが自らのジョブであると認識するところの)竜詩戦争後の竜騎士を規定しているという風にも言えるだろう。
で、そういう目で竜騎士のアクションスキルなり、エスティニアンの描かれ方なりを見直すと、結構色々なことを考える。
エスティニアンは暁月で錬金術師たちに「竜血を浴びた人間」と形容されている。この「浴びる」というのはどういうニュアンスを含みうる言葉なのだろうな、と考える。
考えてみると、イシュガルドの竜騎士達が身にまとうドラケンメイルは、確か竜の血を塗ることによって強化されていた。
竜の血によってどのように強化されているのかと考える時、出てくる答えは一つだ。恐らく、竜の身体のように硬く丈夫になるのだろう。
トールダンと建国十二騎士を始祖とするイシュガルドの人々に、初めから竜に対する欺瞞が抱え込まれていたのと同じように、竜騎士という存在自体が実は矛盾を孕んだ存在なのではないか……とぼんやり考える。
龍を狩るための存在でありながら、竜と渡り合うために空を跳躍し、鎧に竜血を塗り、竜の眼の力を利用する。
それは人が竜に限りなく近づこうとする道程に見える。竜騎士とは竜を屠る者だった筈なのに、いつしか竜に近似した存在になっている。
「蒼天のイシュガルド」で描かれたエスティニアンの物語というのも、結局のところその究極形だ、と言えるだろう。
けれど彼の人生に不可思議な点が一つあるとしたら、彼が竜になったのではなく、竜が彼になったことだった。
思えば「ドラゴンになった少年」をはじめ、竜になった人間の話はFF14内にいくらでも出てくるけれど、人になった竜の話はたった一つしか出てこない。それこそが邪竜の影だ。
ニーズヘッグがエスティニアンの身体を乗っ取ったのは、ある意味では苦肉の策、逆襲の策だった。見方を変えれば、竜はそこまで追い詰められでもしないかぎり人間になろうと思わないのだろう。
そこにあるのは竜と人間の根源的な非対称性だ。人は竜を畏れ、憧れもするが、竜は人に対してそのようではない。竜は人より強い。少なくとも「蒼天のイシュガルド」における竜と人間の力関係はそのようなものだったと思う。
ニーズヘッグは限りなく弱められたからこそ、今まで考えもしなかった「人に接近する」ことを試みた。その結果邪竜の影が生まれ、エスティニアンはニーズヘッグの心を、もう一つの我が心のように理解することになった。
エスティニアンが竜血を浴びた人間であるというのは、単に彼が竜を屠った人間であるという意味に留まらない。彼が浴びた竜血とはニーズヘッグの血であり、それはその時の彼にとって仇の血だったのだが、その一方で彼や彼の属するイシュガルドの人々が、千年をかけて「接近」してきた存在の血でもあった。
そしてその「接近」の最後の一歩を、ニーズヘッグの方から詰めてきた。そこで人と竜とが重なり合って、邪竜の影が生まれた。