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田邉恵子『一冊の、ささやかな、本:ヴァルター・ベンヤミン『一九〇〇年ごろのベルリンの幼年時代』研究』(みすず書房)

著者の博士論文に加筆修正を施して書籍化したもの。ドイツで編集・出版が進行しているベンヤミンの新批判版全集を活用し、『幼年時代』の習作版手稿、関連メモ、書簡などを参照しながら、『幼年時代』が完成稿へといたるプロセス、およびベンヤミンの思想の変遷を丹念にたどっている。

忘れてしまったもの、それも時間の流れという不可避の力によって忘却に追いやられてしまったものが、一人ひとりにあるのだということを読者に気づかせたい――ベンヤミンの子供時代を回想した作品でありながら、ベンヤミンの個人情報は徹底的にそぎ落とされているという特異な作品形式が採られたのには、そういう祈りが込められていたからだというのがよくわかった。この祈りが読者に届けられることこそが、あの時代に故郷を逐われた人々にとっての慰めであったということなのだろう。

特に二点。
(1)回想について。
ベンヤミンは過去を象徴化するような物語的回想を退け、「繰り返し同一の事態に立ち戻」りつつ、そのつど異なる地点を掘り起こすような回想でなければならないと構想したという。
著者によれば、彼がこうした考えをもった背景には、親友の自殺という青年時代の出来事が影響していた。親友をいかに生涯忘れずに悼みつづけるか、という問題を前にしたとき、その親友の一生を物語化し、それを一言一句暗記するというのは、ベンヤミンにとって本当の意味で「忘れずに悼みつづける」ことではなかったのだろう。そうではなく、そのつどはじめから思い出し、忘れていることはないか――そういえばあのときこういうふうにも遊んだ、ああいうことを言っていた、みたいに――注意深く回想すること、そしてこれを繰り返しつづけること。これこそが、彼にとって真の意味での哀悼だったのだろう。こうした考えは『歴史の概念について』にも通じている発想であり、そちらの理解も深まった気がした。

(2)過去の人々の生をどのように描くのか。
『幼年時代』ではなく『ドイツの人々』という別作品について論じられていたことであったが、彼はその作品で、文学者の書簡を用いて文学史を描こうとしたという。書簡は既存の文学史で無視されていた資料で、「取るにたらない事柄」が書かれたものだが、だからこそこれを取りあげて歴史を語り直したのだと。
ベンヤミンの理屈も著者の考察もいささか論理に苦しさを感じたが、歴史叙述のコンセプトはとてもおもしろい内容だった。些末な資料を用いることで読者にマニアックな情報を提供したいのではなく、「大きな流れ」のなかに消えてしまったり無視されたりする些事にフォーカスすることで、忘れられてしまったものへの注意を読者に喚起させようとしたのだと。

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