特に二点。
(1)回想について。
ベンヤミンは過去を象徴化するような物語的回想を退け、「繰り返し同一の事態に立ち戻」りつつ、そのつど異なる地点を掘り起こすような回想でなければならないと構想したという。
著者によれば、彼がこうした考えをもった背景には、親友の自殺という青年時代の出来事が影響していた。親友をいかに生涯忘れずに悼みつづけるか、という問題を前にしたとき、その親友の一生を物語化し、それを一言一句暗記するというのは、ベンヤミンにとって本当の意味で「忘れずに悼みつづける」ことではなかったのだろう。そうではなく、そのつどはじめから思い出し、忘れていることはないか――そういえばあのときこういうふうにも遊んだ、ああいうことを言っていた、みたいに――注意深く回想すること、そしてこれを繰り返しつづけること。これこそが、彼にとって真の意味での哀悼だったのだろう。こうした考えは『歴史の概念について』にも通じている発想であり、そちらの理解も深まった気がした。
(2)過去の人々の生をどのように描くのか。
『幼年時代』ではなく『ドイツの人々』という別作品について論じられていたことであったが、彼はその作品で、文学者の書簡を用いて文学史を描こうとしたという。書簡は既存の文学史で無視されていた資料で、「取るにたらない事柄」が書かれたものだが、だからこそこれを取りあげて歴史を語り直したのだと。
ベンヤミンの理屈も著者の考察もいささか論理に苦しさを感じたが、歴史叙述のコンセプトはとてもおもしろい内容だった。些末な資料を用いることで読者にマニアックな情報を提供したいのではなく、「大きな流れ」のなかに消えてしまったり無視されたりする些事にフォーカスすることで、忘れられてしまったものへの注意を読者に喚起させようとしたのだと。