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尊厳死の問題はカネの問題ではありません。尊厳死を認めたとしても、それが直接社会保障費の削減につながるはずがありません。もしそうなるとしたら、尊厳死の名目で社会的強制が起きていると考えるべきです。映画「PLAN75」で鮮やかに描かれた通りに。
尊厳死の問題を考えるときに宗教を取り上げざるを得ません。いまいろいろ本を読み漁っていますが、西洋的「個人」ではなく、東洋的「群人」(わたしの思いつきです。共同体と分離不可分な個人を想定しています)が死をどう捉えるかによって異なると感じています。文章にまとめられればいいのですか・・・
平野啓一郎さんが提唱している「分人」の総体が「群人」のイメージです。
https://dividualism.k-hirano.com/?doing_wp_cron=1728808215.6164159774780273437500