「教養教育無用」論などと愚かな言説が一部で反復されているらしい。

 昔、「シェイクスピアより英会話」とはしゃいでいた富山某という男がいたが、むしろ逆。

 日本で外交官になるような人間は英語はかなり流暢に話す。しかしシェイクスピアの四大悲劇が頭に入っていないようでは外交官としては失格である。また新約聖書、クルアーン、論語も必読。

 四半世紀前、私は仏で20代の二人の外務官僚、一人の財務官僚に会ったが、この点ではたいへん「頼りなかった」。

 また一般の人にも「市民」としての政治教養は必須。なんといってもこれだけメディアが氾濫し、しかもマスコミを信用できない、となると「代議制民主主義」は機能しない。

 WEBという情報の海で「溺死」しないための、海図とコンパス、羅針盤を与えるのも「教養教育」である。

 また憲法において人権、労働法において労働権がどのように規定され、運用されているか教えるのも必須だろう。これは高校までの教育では到底追いついていない。
結果、労働法破りの若者「搾取」が日本中で横行している。

 この点では「教養概念」の拡張、と言えるかもしれない。人文系の人も最低、憲法と労働法は「教養」として知っておく必要がある。

 あとは組合と政党の関係も現在、必須の「教養」と言えるだろう。
 

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日本では「教養」というと、なにか知識のようなものと誤解されている気がします。知識というよりも、身についた習慣のようなもののほうが実態に近いのではないでしょうか。
その意味では「教養」は学校で教えるだけで身につくものではなく、不断の習慣が不可欠だなと思えます。

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