2023年12月1日、読書を始めました。この投稿にぶら下げます。

かぎかっこ多過ぎてめまいがする。かぎかっこを複数の用法で用いるなら、ちゃんとかぎかっこの意味を定義してほしい。

 なんで臨床に”klinikos”と〔古典〕ギリシア語が付されているのだろう。そしてその説明として「ひとが生きるその場所で、生きながら考える営み」(p. i)という説明は、これでよいのか?

「この本が、今後、不意なかたちで「被災の場に投げ出された人」が自分なりの仕方で「その場に立つ」ことができるよう手助けする、そんなちょっとした道案内のようなものとしてそばに置いてもらえるのであればこれ以上のしあわせはない」(p. iv)って、そんなしあわせの安売りしてよいのかしらん。

 私が小学生のとき、一生に一度のお願いを何度もする同級生がいたけど、お前の一生は何度あるんだっていうね。

 第1章「言葉をあてがう」の「震災を語るための言葉の不在」の項。冒頭は下記のようなラ・ロシュフコーの引用で始まる。

「哲学は、過ぎ去った不幸や未来の不幸には容易く打ち勝つが、いままさに生じている災いに対してはなんの役にも立たない」(1頁)

『箴言と省察』という本の原書(1976年)の47頁が引用元として示されている。

それで、この直後に「ただただ〈被災者〉として生きていた自分自身をずっと捉えて離さなかったのは、まさにこのラ・ロシュフコーの言葉だったような気がする。ラ・ロシュフコーの箴言のとおりだとするならば、東日本大震災という『いままさに生じている災い』に対して哲学は『何の役にも立たない』ものにまで成り下がってしまう」(1頁)って書いてあって、なんだか言葉が上滑りしているよなあ。どっちやねん、というね。

 「震災という〈出来事〉に対する哲学それ自体の立ち位置の難しさに思い悩まされながらも、あえて「てつがくカフェ」を開催し、震災をテーマにした対話の場を設けるよう強力に後押ししてくれたものは、〔中略〕『震災を語るための言葉の不在』という『虚しさ』への反動であったような気がする」(3頁)

 「震災を語るための言葉の不在という虚しさへの反動」か。虚しさへの反動なのね。語ることばないから、何とかして語ろう、ことばをあてがおうとしたってことかしら?ラ・ロシュフコー先生はどこへ行ったんだろう。

「2011年3月11日の本震後、しばらくしてから知人たちに声をかけ、震災に関する『てつがくカフェ』を開始した」(3頁)とあるけど(この直前にも「はじめに」の中にもある)「てつがくカフェ」がどんなものかについての説明ってあったんだっけ?はじめにのところにはてつがくカフェが哲学対話のひとつであるとわかる記述(p. iii)はある。

 せんだいメディアテークについて、第一の特徴は「市民が平等な資格で出会い、対話し、互いの考えを逞しくしていくための〈場〉としての「カフェ」の歴史的機能や文化(17世紀以降に誕生したロンドンのコーヒーハウスを起源とするカフェ文化)にいち早く着目し、それを積極的に市民活動の基礎に据え付けようとしてきたところにある」(5頁)との説明。

 「逞しくする」というのがよく出てくるのだけど、たとえば「考えを逞しくする」っていうのはどういう状態なんだろう。

 「具体的なカタチとして実行に移される」(5頁8行目)のカタチはなんでカタカナなんだろう。

 2009年に著者が立ち上げたてつがくカフェ@せんだい(Café Philo de Sendai)も「せんだいメディアテーク内の仮設のカフェスペース」(5頁)であるgoban tube caféの公募に採用されて「さまざまなテーマを設定して「てつがくカフェ」を開催し、〈対話〉を通して他者の考えに耳を澄まし、またそれをもとに自分の考えを逞しくしていくことの難しさや楽しさを市民の方々と共有してきた」(6頁)とのこと。

 「避難所での先の見えない生活、そして、放射能の脅威」(7頁)の「放射能」って表現は、著者がその意味を理解した上で意図的に選択したものだと思うけど、どういう意図をもってこの表現を選択しているのだろうか。

 放射性物質、放射線、あるいは放射能とそれぞれ指し示す対象は異なるけど、そもそも私たちは何を脅威として恐れているんだろうね。一般の市民と専門家とではまた違うのだろうか。

 ここで著者が「放射能」と書いているのは、市民がその表現を哲学カフェ(と哲学カフェ一般を指すときには私は哲学を漢字で書くけど、そこ)などで使っていたということなのだろうか。そして/あるいは、市民は実体のある放射性物質やそこから放出されている目に見えない放射線ではなく、その能力である放射能を恐れているということなのだろうか。あるいは著者自身がそうだということなのだろうか。

 このあたり、すごくもやるなあ。

 「当時、芸術や文学、哲学や思想、さらには音楽活動をしている方々から、「自分たちのやっていること(芸術など)は被災者の方々には何の役にもたたないのではないか」などといった、自分自身の専門性に因る〈負い目〉や〈戸惑い〉の声を耳にする機会も多かった。そこには、被災地(者)に対して物資を送ったり瓦礫の撤去を行ったりするような「実効性や即効性があり、しかも結果の見えやすい支援」以外は〈支援〉とはみなされないかのような、凝り固まった〈支援〉観が間違いなく蔓延っており、被災地にいる者の多くを戸惑わせた」(7頁)

 この箇所について、私自身は異論はないのだけど、これを「凝り固まった〈支援〉観」と措定してしまった上で「震災からちょうど100日目にあたる6月18日に「せんだいメディアテーク」との共同運営のもと、震災を問い直す哲学カフェとして〔中略〕あの凝り固まった〈支援〉観についても、「〈支援〉とはなにか?」というテーマ設定のもとに」(8頁)哲学カフェをおこなったということに関しては、対話のテーマ設定としてどうなのかなと。

 9頁15行目に「放射能汚染」という表現。

 9頁最終行の「思われる」から10頁2行目の「違いない」へ、そして10頁7行目「感じとっていたのではないか」へと展開していく思考の道筋に、ちょっとついていけない。

 10頁で鷲田さんの文章からの引用があり、その中に「語りのゼロ点」という表現あり。

 10頁の最終行から11頁1行目にかけて「自らの考えを逞しくしていく場」との表現。

 ちょっとさかのぼるけど「あの凝り固まった〈支援〉観についても、「〈支援〉とはなにか?」というテーマ設定のもとに、2011年9月25日に開催した第3回「考えるテーブル てつがくカフェ」のなかで80名以上の参加者(被災者の方々も含む)とともにその問題性について語り合った」とあり、80名以上で「語り合う」とか「対話する」とかいうのは、どういう状態なんだろう。つまり、80名以上で対話するということはどのようにして可能になるのだろうか。

 確かに、私も数年間進行役を務めた京阪なにわ橋駅構内のアートエリアB1でおこなっていた中之島哲学カフェでも、多いときには50名以上の参加者があったけど、参加者全員が対話に参加しているということはなかったと思うし、私自身もすべての人が対話に参加することを求めていなかった。もちろんこれは対話とか参加の意味にもよるのだけど。

 この「考えるテーブル てつがくカフェ」もそういうものだったのだろうか。だとして、それでよかったのだろうか。

「…とともにその問題性について語り合った」って、もしかして進行役対参加者がってこと?日本語としてもそういう表現になっているけど。

 11頁から「震災はわたしたちを試す?」という節。その冒頭は次のとおり。

「震災はわたしたちを試している。わたしたちは被災地である仙台で、「てつがくカフェ」という〈対話の場〉をとおしていま目の前で起きている震災という〈出来事〉に向き合っていかなければならない。それらの試練と格闘した痕跡のなかにしか復興への道筋は見出せないとすら感じている。試されているのだから、応えないわけにはいかない」(11頁)

 だいぶポエムだなあ。同じ研究室出身の中では私がもっともこの系統からは遠い存在で、むしろこの系統に属するか、そうでなくてもこれと親和性の高い人はたくさんいるんだけどなあ。私はこの本を正当に評することができるのだろうか。

 「凝り固まった〈支援〉観」という先入見を持ち込んで「〈支援〉とはなにか?」というテーマについて哲学カフェをおこなうことについては先に疑問を呈したところだけど、さすがと言うか何と言うか、震災後1、2年のあいだで取り上げてきたテーマとして紹介されているものはどれもこれもすばらしいものばかりなんだよなあ。以下11-12頁の記述から抜粋。

第1回目「震災と文学――『死者にことばをあてがう』ということ」
第2回目「震災を語ることへの〈負い目〉?」
第3回目「〈支援〉とはなにか?」
第4回目「震災の〈当事者〉とは誰か?」
第5回目「切実な〈私〉と〈公〉、どちらを選ぶべきか?」
第6回目「被災者の痛みを理解することは可能か?」
第7回目「〈ふるさと〉を失う?~〈復興〉を問い直すために」
第8回目「復興が/で取り戻すべきものは何か?」

「仙台と並行して盛岡や福島、山形などの被災地でも震災に関連した哲学カフェを行っている。2011年12月10日に盛岡で開催した哲学カフェ(第1回「てつがくカフェ@いわて」)では、被災地に無反省に投げかけられる「善意」をテーマとして取り上げ、そこに潜む問題性について参加者とともに問い直した」(12頁)

 なるほど、やっぱりここの記述からも〈西村先生が参加者とともに〉語り合ったり問い直したりしてるってことなんだな。日本では「進行役」と表現することが多いように思うけど、西村先生はご自身を「ファシリテーター」と呼んでいるのよね(iii頁)。そこは何か特別な思いとか違いみたいなものがあるのだろうか。

 ところで、iii頁の記述を読み返してみると、上記の理解が十分ではないことを示唆する記述があった。

「被災地での「てつがくカフェ」参加者による対話の様子をもとに、ファシリテーターを務めてきた著者本人の始点から、そこで交わされてきた対話のライブ感や当時の状況などを可能な限り再現したい」(iii頁)

 参加者が参加者同士で対話して考えたことと、西村先生が自分で考えたことと、「ともに」は二重にある?

 13-15頁は「人の言葉を聴くことの怖さ」という節。あいかわらず〈ポエム〉ではあるのだけど、まじめな話、鷲田流のポエムの系譜ないし西村先生自身の感性によるものと、現象学とかフランス哲学とかポストモダンとか、いちおうは広く哲学の枠内で捉えられるものの系譜とが合わさっているんだろうな。

 それはさておき、この節は、臨床哲学の臨床とは何かってところに直接関わってくるところなんじゃないかなと。社会でさまざまな問題が生じている現場に赴くということ、これを「社会の臨床」とか何とか臨床哲学の初期のころの鷲田先生か中岡先生かふたりの連名か研究室名だったかで書かれた文章の中で呼んでいたと思うんだけど、じっさい西村先生はそうした社会の臨床(ベッドサイド)に赴いて、当事者とともにあり、当事者とともに何かの営みをした、すなわち臨床哲学を実践したということだよな。

 私みたいに臨床哲学から破門されて自分でも何をしているのかわからなくなってしまった人間とは違って、西村先生は西村先生なりに臨床哲学を実践してきているわけよね。数少ない臨床哲学の継承者のひとりだし、いちばん臨床哲学らしいことをしているのかもなあ。

 とはいえ、この節は中心的な主張とか概念とかの部分が鷲田清一の『「聴く」ことの力』からの引用であったりほかにも注釈がついてたりで、どこまでそれらを咀嚼・消化して西村先生のオリジナルになっているのかと問い直してみたら、はたして西村先生独自のものがどれだけ残るのか疑問がある。

 おそらく咀嚼はしまくってるんだろうと思う。そのあと消化してどこまで西村先生の血となり肉となっているのかってことだよな。

 あかんあかん、比喩ばかり使ってポエムになってきた。

 15-20頁は「言葉というものの真のはたらき」という節。なかなか野心的なというのか大上段のというのか、すごい見出しだな。

 この「言葉というものの真のはたらき」(15頁)という表現は、辺見庸『瓦礫の中から言葉を わたしの〈死者〉へ』からの引用というか借用だったみたい。西村先生のオリジナルが知りたい。

 辺見庸は作家であり詩人だから、「真の」というのもわからないでもないかな。

 それにしてもなんだなあ、せっかく被災者、当事者、あるいは哲学カフェの参加者と対話をして、ことばを編んで、なんだっけ、何か〈逞しく〉してきたはずなのに、そうした当事者のことばよりも先に辺見庸がくるんだなと。このあたりが、やっぱり衒学的に見えてしまって、私にとっては苦手というか、率直に言って鼻につくんだよなあ。

 16頁の注釈29で高橋源一郎先生の「分断線」ということばが紹介され登場。やっぱりここでも哲学研究者、職業哲学者の概念が前面に出てくるんだな。

 西村先生にとって哲学カフェって何なんだろうなあ。あるいは、被災者、当事者、哲学カフェの参加者って、西村先生にとって何なんだろう。

 最後の方で臨床哲学とつなげているのだけど、その接続はやや形式的・表面的に過ぎるという感をぬぐえない。

「『言葉というものの真のはたらき』は、何よりも『生身の個』にこそその照準が絞られなけ得ればならない、ということなのであろうか。そして、被災地における『てつがくカフェ』もまた、その当初からこの『生身の個』に、言い換えれば『だれかある特定の他者に向かってという単独性ないし特異性(シンギュラリティ)の感覚』をもっとも重視するものでなければならない、と感じていた。なぜなら、ここで言う『てつがく』とは、まさに『普遍的な読者に対してではなく』、対話をとおして『個別のひとに向かってする哲学(臨床哲学)』を想定しているからである。このとき、自分自身のなかでは、まさに文学という営みと哲学とが間違いなく交叉していた」(20頁)

 孫引きになるけど、鷲田清一『語りきれないこと――危機と痛みの哲学』角川学芸出版、2012年の85-86頁からの引用として次の一節が本文中にある。

「感情というのは確かに言葉で編まれていて、言葉がなかったら、感情はすべて不定形で区別がつかない。言葉を覚えることで、じぶんがいまいったいどういう感情でいるかを知っていく。語りがきめ細やかになって、より正確なものになるためには、言葉をより繊細に使い分けていかなければならない」

 これは哲学の基本であって決して鷲田先生のオリジナルではないのだけど、こうした仕方で誰かに伝わり共感され理解される仕方で表現できるのは鷲田先生の能力であり、その結果は鷲田先生の功績だろうと純粋に思う。まあ私は肌に合わないのだけど。

 ここからは私の感想。

 たとえば、小説家、詩人、哲学者、〔哲学〕研究者などは、ある意味で自分のことばをもった存在なんだよな。もちろん、哲学カフェに参加するような一般の人、非専門家、ないしレイパーソンがそうした自分のことばをもっていないとは限らないのだけど、前者が基本的に自分のことばをもっているのに対して、後者は必ずしも自分のことばをもっているとは限らないわけよね。

 哲学カフェというのは、ある意味でそうした自分の言葉をもたない参加者も含めて、自分のことばで語り、対話することを実現していく場だと思うのだけど、こうしたすでに自分の言葉をもつセンモンカたちの考えをもってこられてもなあと(いうことが書きたかったわけではなかったのだけど、何度も何度もやんごとなくこの投稿を中断されて、当初は何を書こうと思ってこの感想を書き始めたのだったかわからなくなってしまった)。

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臨床哲学の「臨床」とはなにか?という問いに、私は医学における病理と対比的に置かれる「臨床」をイメージしてしまいます。
でも、本来哲学はまさしく「臨床」からしか発しないものじゃないかと考えているので、どうにも「臨床哲学」というものは「白い白鳥」じゃないかなと感じられてなりません。

鷲田先生というと、哲学関連の著書ではなく、関西圏の飲み屋さんを飲み歩く『あの人と、「酒都」放浪 -日本一ぜいたくな酒場めぐり (中公新書ラクレ)』を思い出してしまいます

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