@mrmts かぎかっこ多過ぎてめまいがする。かぎかっこを複数の用法で用いるなら、ちゃんとかぎかっこの意味を定義してほしい。
なんで臨床に”klinikos”と〔古典〕ギリシア語が付されているのだろう。そしてその説明として「ひとが生きるその場所で、生きながら考える営み」(p. i)という説明は、これでよいのか?
第1章「言葉をあてがう」の「震災を語るための言葉の不在」の項。冒頭は下記のようなラ・ロシュフコーの引用で始まる。
「哲学は、過ぎ去った不幸や未来の不幸には容易く打ち勝つが、いままさに生じている災いに対してはなんの役にも立たない」(1頁)
『箴言と省察』という本の原書(1976年)の47頁が引用元として示されている。
それで、この直後に「ただただ〈被災者〉として生きていた自分自身をずっと捉えて離さなかったのは、まさにこのラ・ロシュフコーの言葉だったような気がする。ラ・ロシュフコーの箴言のとおりだとするならば、東日本大震災という『いままさに生じている災い』に対して哲学は『何の役にも立たない』ものにまで成り下がってしまう」(1頁)って書いてあって、なんだか言葉が上滑りしているよなあ。どっちやねん、というね。
「避難所での先の見えない生活、そして、放射能の脅威」(7頁)の「放射能」って表現は、著者がその意味を理解した上で意図的に選択したものだと思うけど、どういう意図をもってこの表現を選択しているのだろうか。
放射性物質、放射線、あるいは放射能とそれぞれ指し示す対象は異なるけど、そもそも私たちは何を脅威として恐れているんだろうね。一般の市民と専門家とではまた違うのだろうか。
ここで著者が「放射能」と書いているのは、市民がその表現を哲学カフェ(と哲学カフェ一般を指すときには私は哲学を漢字で書くけど、そこ)などで使っていたということなのだろうか。そして/あるいは、市民は実体のある放射性物質やそこから放出されている目に見えない放射線ではなく、その能力である放射能を恐れているということなのだろうか。あるいは著者自身がそうだということなのだろうか。
このあたり、すごくもやるなあ。
「当時、芸術や文学、哲学や思想、さらには音楽活動をしている方々から、「自分たちのやっていること(芸術など)は被災者の方々には何の役にもたたないのではないか」などといった、自分自身の専門性に因る〈負い目〉や〈戸惑い〉の声を耳にする機会も多かった。そこには、被災地(者)に対して物資を送ったり瓦礫の撤去を行ったりするような「実効性や即効性があり、しかも結果の見えやすい支援」以外は〈支援〉とはみなされないかのような、凝り固まった〈支援〉観が間違いなく蔓延っており、被災地にいる者の多くを戸惑わせた」(7頁)
この箇所について、私自身は異論はないのだけど、これを「凝り固まった〈支援〉観」と措定してしまった上で「震災からちょうど100日目にあたる6月18日に「せんだいメディアテーク」との共同運営のもと、震災を問い直す哲学カフェとして〔中略〕あの凝り固まった〈支援〉観についても、「〈支援〉とはなにか?」というテーマ設定のもとに」(8頁)哲学カフェをおこなったということに関しては、対話のテーマ設定としてどうなのかなと。
ちょっとさかのぼるけど「あの凝り固まった〈支援〉観についても、「〈支援〉とはなにか?」というテーマ設定のもとに、2011年9月25日に開催した第3回「考えるテーブル てつがくカフェ」のなかで80名以上の参加者(被災者の方々も含む)とともにその問題性について語り合った」とあり、80名以上で「語り合う」とか「対話する」とかいうのは、どういう状態なんだろう。つまり、80名以上で対話するということはどのようにして可能になるのだろうか。
確かに、私も数年間進行役を務めた京阪なにわ橋駅構内のアートエリアB1でおこなっていた中之島哲学カフェでも、多いときには50名以上の参加者があったけど、参加者全員が対話に参加しているということはなかったと思うし、私自身もすべての人が対話に参加することを求めていなかった。もちろんこれは対話とか参加の意味にもよるのだけど。
この「考えるテーブル てつがくカフェ」もそういうものだったのだろうか。だとして、それでよかったのだろうか。
「…とともにその問題性について語り合った」って、もしかして進行役対参加者がってこと?日本語としてもそういう表現になっているけど。
11頁から「震災はわたしたちを試す?」という節。その冒頭は次のとおり。
「震災はわたしたちを試している。わたしたちは被災地である仙台で、「てつがくカフェ」という〈対話の場〉をとおしていま目の前で起きている震災という〈出来事〉に向き合っていかなければならない。それらの試練と格闘した痕跡のなかにしか復興への道筋は見出せないとすら感じている。試されているのだから、応えないわけにはいかない」(11頁)
だいぶポエムだなあ。同じ研究室出身の中では私がもっともこの系統からは遠い存在で、むしろこの系統に属するか、そうでなくてもこれと親和性の高い人はたくさんいるんだけどなあ。私はこの本を正当に評することができるのだろうか。
「凝り固まった〈支援〉観」という先入見を持ち込んで「〈支援〉とはなにか?」というテーマについて哲学カフェをおこなうことについては先に疑問を呈したところだけど、さすがと言うか何と言うか、震災後1、2年のあいだで取り上げてきたテーマとして紹介されているものはどれもこれもすばらしいものばかりなんだよなあ。以下11-12頁の記述から抜粋。
第1回目「震災と文学――『死者にことばをあてがう』ということ」
第2回目「震災を語ることへの〈負い目〉?」
第3回目「〈支援〉とはなにか?」
第4回目「震災の〈当事者〉とは誰か?」
第5回目「切実な〈私〉と〈公〉、どちらを選ぶべきか?」
第6回目「被災者の痛みを理解することは可能か?」
第7回目「〈ふるさと〉を失う?~〈復興〉を問い直すために」
第8回目「復興が/で取り戻すべきものは何か?」
「仙台と並行して盛岡や福島、山形などの被災地でも震災に関連した哲学カフェを行っている。2011年12月10日に盛岡で開催した哲学カフェ(第1回「てつがくカフェ@いわて」)では、被災地に無反省に投げかけられる「善意」をテーマとして取り上げ、そこに潜む問題性について参加者とともに問い直した」(12頁)
なるほど、やっぱりここの記述からも〈西村先生が参加者とともに〉語り合ったり問い直したりしてるってことなんだな。日本では「進行役」と表現することが多いように思うけど、西村先生はご自身を「ファシリテーター」と呼んでいるのよね(iii頁)。そこは何か特別な思いとか違いみたいなものがあるのだろうか。
ところで、iii頁の記述を読み返してみると、上記の理解が十分ではないことを示唆する記述があった。
「被災地での「てつがくカフェ」参加者による対話の様子をもとに、ファシリテーターを務めてきた著者本人の始点から、そこで交わされてきた対話のライブ感や当時の状況などを可能な限り再現したい」(iii頁)
参加者が参加者同士で対話して考えたことと、西村先生が自分で考えたことと、「ともに」は二重にある?
13-15頁は「人の言葉を聴くことの怖さ」という節。あいかわらず〈ポエム〉ではあるのだけど、まじめな話、鷲田流のポエムの系譜ないし西村先生自身の感性によるものと、現象学とかフランス哲学とかポストモダンとか、いちおうは広く哲学の枠内で捉えられるものの系譜とが合わさっているんだろうな。
それはさておき、この節は、臨床哲学の臨床とは何かってところに直接関わってくるところなんじゃないかなと。社会でさまざまな問題が生じている現場に赴くということ、これを「社会の臨床」とか何とか臨床哲学の初期のころの鷲田先生か中岡先生かふたりの連名か研究室名だったかで書かれた文章の中で呼んでいたと思うんだけど、じっさい西村先生はそうした社会の臨床(ベッドサイド)に赴いて、当事者とともにあり、当事者とともに何かの営みをした、すなわち臨床哲学を実践したということだよな。
私みたいに臨床哲学から破門されて自分でも何をしているのかわからなくなってしまった人間とは違って、西村先生は西村先生なりに臨床哲学を実践してきているわけよね。数少ない臨床哲学の継承者のひとりだし、いちばん臨床哲学らしいことをしているのかもなあ。
最後の方で臨床哲学とつなげているのだけど、その接続はやや形式的・表面的に過ぎるという感をぬぐえない。
「『言葉というものの真のはたらき』は、何よりも『生身の個』にこそその照準が絞られなけ得ればならない、ということなのであろうか。そして、被災地における『てつがくカフェ』もまた、その当初からこの『生身の個』に、言い換えれば『だれかある特定の他者に向かってという単独性ないし特異性(シンギュラリティ)の感覚』をもっとも重視するものでなければならない、と感じていた。なぜなら、ここで言う『てつがく』とは、まさに『普遍的な読者に対してではなく』、対話をとおして『個別のひとに向かってする哲学(臨床哲学)』を想定しているからである。このとき、自分自身のなかでは、まさに文学という営みと哲学とが間違いなく交叉していた」(20頁)
孫引きになるけど、鷲田清一『語りきれないこと――危機と痛みの哲学』角川学芸出版、2012年の85-86頁からの引用として次の一節が本文中にある。
「感情というのは確かに言葉で編まれていて、言葉がなかったら、感情はすべて不定形で区別がつかない。言葉を覚えることで、じぶんがいまいったいどういう感情でいるかを知っていく。語りがきめ細やかになって、より正確なものになるためには、言葉をより繊細に使い分けていかなければならない」
これは哲学の基本であって決して鷲田先生のオリジナルではないのだけど、こうした仕方で誰かに伝わり共感され理解される仕方で表現できるのは鷲田先生の能力であり、その結果は鷲田先生の功績だろうと純粋に思う。まあ私は肌に合わないのだけど。