私は「天帝(あるいは真の創世者が他にいるとしたらその存在)は古代中国を理想とする未来人、もしくは時間を超越した存在」と妄想することが多い
六官制は周礼にならったものだし、崑崙の呼び方が『漢』だから、創世者は漢の人では?と思う→でもそれにしては、椅子文化なところや、服飾にかなり新しいものもあるっぽいのが気になる→創世者は漢よりずっと後の時代の人では?
というのもこの考え方のベースにある。だから今回ますますそう思うようになったかも。つまり、「創世のときから常世では現在の常世と近い家具を使っている」「創世のときに天が好ましいと考える文化を常世に設定した」という見方