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水上文さんの映画『バービー』レビュー、末尾にあるこの一節はまことに同感で、自分が観た直後の「どっちの世界もディストピアじゃねえか……」感に言葉が与えられたように思った。

「映画『バービー』のなかでは、人種や社会階層といった女性内部の差異が取りこぼされ、結果として誰かを抑圧する当の構造は温存されたままではなかっただろうか。ただ一部の特権的な女性たちがこれまで男性が占めていた地位につけるようになったとして、それは本当に性差別の解消につながるのだろうか?」

「KEN is me」でええんか?それは解放なんか? という感もあり


私は自我に目覚めても別に解放されないのは、子供が目覚めると抑圧された社会でしたというのと同じようなもので特に理想が出現するものではないと感じました。(正解を示す映画ではなかった)

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