SNSでなにかものを言うことへのモチベーションがない時期にある(からこれを書くのもパワーがいる)。Twitterでなにか批判せねばならない事象をみかけても、どうせその批判もまたインプレッション稼ぎの輩とかに利用されることになるし、そもそも批判の対象も碌な対応しないだろうし、とか考えるとすべてめんどくさくなってしまう。単に疲れているだけなのかもしれないけど。

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たとえばこんなのも、明らかに福祉に繋げるなど「真面目な対応」をとらねばならない、少なくともその可能性を第一に考え、かつこうやってSNSにあげるようなことはしないのが当然であるような事象なんだけど、こういうことを真面目に伝えてもこの本屋は真面目に受け取らないのが目に見えてるし、仮にまともな者たちの目にとまって拡散されたとしても、そこにやってくるのはインプレッション稼ぎのアカウントだし、そもそも子どもが写ってしまっている以上拡散すべきものでもない。(TL見るとそのあと母親も写ってる写真をあげていて、この本屋はこれを「ウケるネタ」としか思ってないことがわかる)

x.com/kikinonatasyo/status/172

この本屋、ふだんから自分に降りかかってきた事件事故をネタにしてるんだけど、これは厳密には「自分に降りかかってきた」事件ではなくて、他者に降りかかっている事件(を自分が目の当たりにしているだけ)なんだよね。そういうつけるべき区別がつかないことを破天荒とかアナーキーとかと勘違いしてキャラ付けしてる/されてる本屋だから、批判したら無視されるかネタにされるだけ。

そういう「消費」の対象に自分がされることに疲れてしまったというか、それに耐えられるだけの余裕がないというか。

いいねやらリツイートやらがたくさんされなければ権威=説得力がないとされ、バズればインプレッション稼ぎの材料にされる、そういう環境でまっとうな言論活動ができるのだろうか。「ウケた」者が勝つ世界では、真摯さはそのためのネタにされるだけ。それでもなお戦わねばならないのだろうけど、いまのわたしにその余裕はない。

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