もちろん、署名やデモなどに意味がないわけではない。それらは「いま政治が酷いことをしている/社会でこんな酷い状況が生じている」ということを、それをまだ知らない者に周知することができるからだ。ゆえに今後もそれを目的として続けていきたい。
ただ、署名やデモを政府への「請願=お願い」の目的でやるのは、もはや逆効果だということ(が今回の署名提出のくだりで見えてきたのではないか)。支配欲にのみこまれた者は、必死に抵抗する者のその姿を見て楽しむのだから。署名受取拒否に絶望する姿を見せてはならない。
想像し難いししたくもないことだが、現政権中枢は「署名30万人?それじゃ少ないよ」「え?50万人?いや〜すごいね!!......で?」「ひ〜!涙目おつ〜!!」なんてフィクション世界の極悪人のようなことを素でやっていると考えたほうが、辻褄が合う。ゆえに私たちがとるべき態度は「署名もデモもあんたらに話を聞いてもらうためにやってるわけじゃないよ。涙目おつ?楽しそうでなにより。じゃ、さよなら」なんだと思う。
すぐに成果がでるもの、努力が簡単に報われることなど、私たちの生活においてはほとんどない。ゆえにその試みは常に苦しく、そこから逃れようとした者が安易なものに飛びつき、いまだ苦しみのなかでもがき続ける者を馬鹿にする。
政治がすぐに変わることなどない。こんな署名ひとつでどうにかなることなどほとんどない。そんなことは理解したうえで、それでもやることに意味がある。そこにかっこよさがある。報われない努力を続ける者を愚弄することで己を慰撫する者のために、私たちは苦しむのではない。
真摯に生きようとする者どうし、お互いをまなざしつづけよう。真摯さを馬鹿にする者から向けられる愚弄のまなざしに、惑わされぬように。あんたらのことはまなざしている、しかし眼中にはない。ゆえにどれだけ愚弄されようがかまわない。それであんたらが救われるのなら、好きなだけ愚弄すればよい。私はあんたらになにも奪われやしないし、損なわれもしない。