https://bunshun.jp/articles/-/68787
“「性は曖昧で連続性がある」と主張されますが、「性差」の大元である「配偶子」の次元では、「大きな卵」か「小さな精子」のどちらかしか存在しないのです。ここに「曖昧さ」や「連続性」や「中間系」は存在しません”
最後まで読めばわかるけど、「生物としての性差がある」ということは、別に「性自認はない」ということではないのよね。
生物としての性差を認めないと対応できない問題もあるし、高度に発達した社会で生きる人間には生物としての性差に注目してるだけでは対応できない問題もある、ってことで。
生物としての性差に着目すると「差別主義者」って言われるのは異常だし、社会的な性差を無視するのは怠惰だと思う。
https://fedibird.com/@gohstofcain/111899151344750361
この記事、雑誌版の「ほんのさわりの部分を紹介」しているだけなので、どっちサイドも騒ぎ過ぎではあると思うよ。(特に「生物学的性差よりも文化的な性差の方が大事だと言ってる!」と断言しちゃってるひと)
あとで雑誌版読むけど、すでに読んだデスちゃんの感想は「ごく常識的なことを言っているだけ」ではあるものの、生物学的性差を否定するのはダメだということははっきり言ってる」という感じ。文化的に構築される性差も性自認も否定していない。人間社会ではどちらも無視できない、大事だって言ってる。 [参照]