不妊手術する権利を認めろ。自分のことは自分で決める。
まあ確かに物凄く耳障りのいい言葉に聞こえるけど、これが認められた場合、法律の運用一つ間違えたら、洒落にならない事態になるわけだが、そこの認識はあるのかね。優生保護法下でおきた惨劇とコインの裏表だよ。そしてこの件と、sex work is workが結びついたら地獄の光景が待ち受けるわけだが(しかも主張している法曹の顔ぶれは同じだ)
今の社会状況を見たら、自己決定権の最大尊重は、自己責任論の強制押し付けでしかならないことは自明ではないんかね。グルーミングや洗脳の結果がこの社会に何をもたらせているのか、統一協会やら性風俗の現場の話を持ち出すまでもないだろうに。提供されている選択肢が狂い続けている中で、自己決定権やら自己選択権を強調するのは、ネオリベラリズムの常套手段だと、ナオミ・クラインの本を紹介するまでもない常識ではないのかね。とにかくそんなことの前に、拒否権を与えろ、認めろ、なんだよ。まずはそこからだよ、話は。拒否権なき自己選択権の提供、自己選択権の尊重なぞ、保証人のハンコを自分の意志に関係なく勝手に押されるみたいなもんだ。
女性を産む機械としてみなしているこの社会構造を壊す。そこまではものすごくよくわかるよ。でもその構造を壊す手段がなんで不妊手術を認めろという話になるのか、全く意味がわからない。というか、妊孕性について語ることは家父長制の要請だから、性被害についてことさら言い募るあなた達は差別者だ、とか言ってた人は、どこに消えたのよ?そもそもとして、なんで女性だけが心身ともに重大なリスク負うようなこの行為がこの問題の解決手段として本当に相応しいかね?真面目に現実見据えていたら、まあこんな話は出てこないよ。優生保護法下で繰り返された惨劇や、今のグルーミング手法やり尽くされてる性業界を見てたらね。いかにも人文系の学者やリベラル風の法曹が机上の空論で考えた結果みたいなさ。もしくは少し穿った見方をすれば、ジェンダー肯定治療の一環としての不妊手術法制化、にしか思えないんだよ。 [参照]