藤野可織『パトロネ』読了。
同じ大学に入学した妹と同居することになった話……なのだけれど、姉妹仲が良いのかと思ったらそういうわけではない。
主人公の思ったことや視線の動きがそのまま書かれているようだった。細部の質感の描写が巧みで、実際に見ているかのように風景が浮かび上がってくる。
あるべきものがないような居心地の悪さ、なんとなく繋がりを感じられない不気味さがありソワソワするが、その理由はのちに分かる。
表面上はおそらく静かな主人公が、頭の中で目まぐるしく色んなことを考えているのが、なんだか怖かった。
後半に所収の『いけにえ』は、第141回芥川賞候補作。平凡な主婦が、美術館の監視員ボランティアをする話である。
『いけにえ』というタイトルの意味がとても引っかかる内容で、読後またすぐ読み返して、誰が何を言って何をしているか細かく確認してしまった。
この作品も、主人公・久子の率直な気持ちが印象的。表と裏を見せてくれるのが面白い。
表向きは二人の娘の母として、夫に尽くす妻として、普通に年相応のやり取りをしているのがまた不気味。
二面性とまでは言わないが、家族に見せていない顔が本来の久子という女なんだろうなと察する。
写真と美術の話が少し関わってくる。記憶に残った箇所抜粋。
"印画紙はRC紙よりバライタ紙を好んで使うので、乾ききったあとの写真は反り返ったただの厚紙みたいで、部室を横切って張り巡らした洗濯紐に干しっぱなしになっているのを指でひらくと、そこには粒子のざらざらした、空なんか完全に白飛びした、さっき撮ったばかりの真新しい光景なのに埃が積もっているような、なにもかも滅んだあとにこれだけがかろうじて残ったみたいな、ある種陰惨な印象の画ばかりがあった。きたならしかった。ゴミみたいな写真だった。世界がこのとおりなら、世界もゴミだ。"
(『パトロネ』より)
"高橋は「そうですか」と言った。一瞬、彼は久子を憎んだ。まったく絵を解しない、無教養で鈍い人間は必要ないとさえ思った。そのとき彼は、自分が登美乃の絵の側に立ち、絵のこころを代弁しているように感じていた。
けれど、すぐに自分の狭量を恥じた。作品が、来る者を拒むはずがなかった。必要だと感じるのはいつでも人のほうで、久子が登美乃の絵を好きだと言うからには、彼女はそれを必要としているのであり、きれいだ、いい絵だと感じるのは、そう感じることを彼女がやはり必要としているからなのだ。高橋に邪魔をする権利はない。
彼は、「そうですね」と言い直した。"
(『いけにえ』より)