写真と美術の話が少し関わってくる。記憶に残った箇所抜粋。
"印画紙はRC紙よりバライタ紙を好んで使うので、乾ききったあとの写真は反り返ったただの厚紙みたいで、部室を横切って張り巡らした洗濯紐に干しっぱなしになっているのを指でひらくと、そこには粒子のざらざらした、空なんか完全に白飛びした、さっき撮ったばかりの真新しい光景なのに埃が積もっているような、なにもかも滅んだあとにこれだけがかろうじて残ったみたいな、ある種陰惨な印象の画ばかりがあった。きたならしかった。ゴミみたいな写真だった。世界がこのとおりなら、世界もゴミだ。"
(『パトロネ』より)
"高橋は「そうですか」と言った。一瞬、彼は久子を憎んだ。まったく絵を解しない、無教養で鈍い人間は必要ないとさえ思った。そのとき彼は、自分が登美乃の絵の側に立ち、絵のこころを代弁しているように感じていた。
けれど、すぐに自分の狭量を恥じた。作品が、来る者を拒むはずがなかった。必要だと感じるのはいつでも人のほうで、久子が登美乃の絵を好きだと言うからには、彼女はそれを必要としているのであり、きれいだ、いい絵だと感じるのは、そう感じることを彼女がやはり必要としているからなのだ。高橋に邪魔をする権利はない。
彼は、「そうですね」と言い直した。"
(『いけにえ』より)