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三浦綾子 著『母』読了。
秋田弁で人好きのする語り手は小林多喜二の母、セキがモデル。
言葉からぬくもりを感じ、直接話を聞いているような距離感に心がほどけていく。このおかあさんになら何でも話してしまいそうだ。
セキの生い立ち、優しい夫や7人の子どもたち。貧しくて苦労をしても、愛情に溢れた家庭は温かかった。
母の目から見た次男の多喜二の短い生涯はとりわけ壮絶で、悲痛さが伝わってくる。母は優しく強いが、子をこんな形で失うのは身を引き裂かれるよりも辛く苦しいだろう。

幼少期から貧しく学校に通えなかったセキが、のちに字を覚えて遺した文章に心を揺さぶられる。つい書いてしまったというような言葉の中に実はどれだけの想いがこもっているかと、涙が出てしまう。覚えたての平仮名でも、書くことで少しは辛い気持ちが紛れたのかもしれない。言葉とはなんて貴重なものだろうかと思う。
学問がないこと、学ぶ機会の持てなかった者に対し、分け隔てなく学びの場を設け共に進もうとする人々が描かれていて感銘を受けた。
晩年、キリスト教に安らぎを見い出していたセキの気持ちが編み出されていくのが、また涙を誘う。

セキが実際に書いた詩 

あーまたこの二月の月かきた
ほんとうにこの二月とゆ月か
いやな月こいをいパいに
なきたいどこいいてもなかれ
ないあーてもラチオて
しこすたしかる
あーなみたかてる
めかねかくもる

(ああ またこの二月の月が来た
本当にこの二月という月が
嫌な月 声をいっぱいに
泣きたい どこにいても泣かれない
ああ でもラジオで
少し助かる
ああ涙が出る
眼鏡がくもる)

二月に拷問されて亡くなった息子のことを忘れる日はなく、一年が巡るたびにまた新たな喪失を重ねていったのかなと思う。

あとがきによると、牧師様が偶然に訪問したその数時間後にセキは87歳で急逝したとのこと。この日も讃美歌「山路越えて」を歌っていたと書かれていて、きっと安らかに息子や夫の元に旅立ったのだと信じたい。

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