セキが実際に書いた詩
あーまたこの二月の月かきた
ほんとうにこの二月とゆ月か
いやな月こいをいパいに
なきたいどこいいてもなかれ
ないあーてもラチオて
しこすたしかる
あーなみたかてる
めかねかくもる
(ああ またこの二月の月が来た
本当にこの二月という月が
嫌な月 声をいっぱいに
泣きたい どこにいても泣かれない
ああ でもラジオで
少し助かる
ああ涙が出る
眼鏡がくもる)
二月に拷問されて亡くなった息子のことを忘れる日はなく、一年が巡るたびにまた新たな喪失を重ねていったのかなと思う。
あとがきによると、牧師様が偶然に訪問したその数時間後にセキは87歳で急逝したとのこと。この日も讃美歌「山路越えて」を歌っていたと書かれていて、きっと安らかに息子や夫の元に旅立ったのだと信じたい。