「嘘」という概念は、論理命題的な「偽」とは違って非常に文化的だなあと常日頃から思うわけですが、この事例を使えばうまく整理できるなと思いました。「嘘」は倫理的な正しさを含む概念で、その社会で信頼を失う問題行為であるのに対して、「偽」は必ずしもそうではない。
明日行きます→来なかった、ということが嘘になるかという問題は、留学生と接しているとよく発生する事例で、海外で生活されている方は類例によく出会うでしょう。ああいうのに怒りの感情を伴って「お前は嘘をついた」というのは、ちょっと待てと思うのですね。…ということの専門書を読んでみたいとずっと思っているけど、出会えてない
調べてみて間違っていたのは、約束ではないから「嘘」とは文化的に見なさないのが我らが社会の合意と思うけど、比喩的に「嘘」という。なんだろう、謝罪が必要な場面を作って、相手の立場を上げるような待遇的な効果があるんだろうか。
じゃあホントの嘘ってなんじゃいというと「騙す意図があったかどうか」で、でも話し手の意図とは別に受け手が「騙された」と思うかどうかが問題になる。そこんとこがコミュニケーション上の摩擦になるんだろうな…
面白い事例、ありがたいです。
QT: https://fedibird.com/@tina_na/112686101206498297 [参照]