農協は、おそらく、ここ数年以内に機能停止しますよ、このままだと。
今日、最寄りの A co-op(農協がやっているスーパー)が2年後に閉店するという 話を聞いた。隣の市では、昔からある農協支店の ATM が無くなったという話も聞いた。
もう、どんどん縮小している。採算が合わないんだね。
農協は都会の人から見たら田舎の旧弊を代表するようなものに見えているかも知れない。自民党がばらまく農業関係の補助金の受け皿みないなもんだろう、とか。
私自身、若い頃には、そのように思っていました。けれど、田舎における家族経営の農家、特に兼業農家の生活を農協が支えて来たのは事実だと思うのです。
田舎から農協がなくなるとどうなるか。その問いは、日本の農業に資本の論理をそのまま適用すればどうなるか、という問いに置き換えることが出来ると思う。
怖いですよ。
商品作物のプランテーション(コーヒーとか紅茶とか)における非人間的な搾取が他人事じゃなくなる。
ほんと、都市部で八百屋さんしているときは「農協悪?」って思ってましたね。
有機農家の締め出しがあったり、農家から独自性を奪って農薬や農機具買わせてる?って思ってた。
岡山来てみて、実際、結果的にそういうことになってたとしても、農協の存在の大きさは他に代えがたいのだと理解できた。
経営力のないほんとに小規模な農家からも集荷でき、流通規格に合わせてまとめて選果してくれる。農協会員でなくても蕎麦の脱穀してくれる。うちはヤギの冬の牧草を小売りしてもらえる(牛用を扱ってるからできる)。などなど、農薬や農機具以外にも、農と切り離せない田舎の集落運営にがっつり関わっている。
ちなみに、うちで下草が燃える火事を出してしまったときに初めて知ったのだけど、「皆様お騒がせしました、消防団の皆様ありがとう」の旨を町内の内線放送で知らせる、という風習があり、これをやってくれるのも農協だった。
QT: https://kotobaphil-mtdn.eu/@softark/112417219435514865 [参照]
ゆりかごから墓場まで、を早期に実現した経営手法で、金融もスーパーも葬儀場も担う。
郵便局と農協と地元の共助があれば農村は回るようになっている。
そして、その農村からの農作物を集約して流通に載せ、都市圏へ運ぶ安定ルートを持っているのが農協。
功罪あり、代わりが効かない。
農協さんにおまかせ、で農業ができていたから言われたままの農薬を散布し、言われたままの農機具をローンで購入してたのだろうなと思う。
それが戦後から日本各地の小農を支えてきた仕組みの実態なのでは。
日本の地形は山がちで平地が狭く、オーストラリアみたいな大規模農業ができる場所は少ない。
それに、きはらさんが言われてるように、企業の論理で土地と農民を動かすと簡単に搾取状態になる。
食料自給率を上げるなら、小農規模が活発に生産できる体制、分散型の生産を集約できる体制がベストじゃないかと思う。
小規模農家が、自分でネット通販して「お野菜セット」の品目を常時確保するのは、とてもとても大変。
「農協みたいな集約組織」は必要なんだなと感じている。