しかしヘーゲルも又、1802-1802年までは、未だ古典的な「政治=社会論」の枠内にいました。

 ところが、1803-4年、1804-5年のイエナ講義において、「相互的承認」を求める闘争、つまり主人(Herr)と下僕(Knecht)を共に「自己意識」という点では対等な両者の闘争が、倫理性一般すなわち「法」を生み出す、とするに至ります。

 この急激な変化は、勿論フランス革命とその後の展開を背景にしたものです。

 そして1806年アウステルリッツ、1807年イエナ・アウエルシュタットでナポレオンが、オーストリア、ロシアそしてプロイセンを連破する状況で、この相互的承認を巡る闘争において「労働」が決定的な契機を占めると考えられるようになり、これが『精神現象学』(1807年)の「自己意識の自立性と非自立性 主人Herrと下僕Knecht」へと結実していく。

 この「労働」への着目からヘーゲルはA.スミスの政治経済学をも視野に入れた体系の構築に突き進むことになる。

 ちなみにヘーゲルは生年はナポレオン(1769)と一年違いの1770年であり、生涯フランス革命とナポレオン賞賛者であり続けた。

 この文脈において、ウィーン体制においてもヘーゲルはドイツに均等相続を規定した仏民法典の導入を主張したのである。

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ヘーゲル以前は、法的な主体は「家長」だけだったけど、
ヘーゲルが、「下僕がいないと主人もいない」という自身の有名な論から、
「家長に従っているひとたちも法的な主体に含める」という考え方を導き出した、ということかな? [参照]

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