センシティブな則清とか加則加とか
『あ、だめ、則宗さん、もうだめぇ』
甘い声が鼓膜を揺らす。
「だめじゃあないだろう。こんなになってるのに」
『やぁ……』
全身を羞恥と興奮の色に染めた肢体が腕の下でくねる。則宗は細い腰をたぐるように引き寄せると奥の奥を穿って埒をあけた。
低いうめきと切なげな悲鳴が同時に上がる。
則宗はきつく目を閉じてぶるりと胴震いをした。
ゴーグルを外すと見慣れた自分の部屋だ。さっきまで愛らしい恋人と睦み合っていた広いベッドはどこにもなく、あるのはそっけない脚付きマットレスと本を詰め込んだスチールラック、壁面にそって設置したいくつかのモニタとそこにつながるケーブル、PCケース。
ついさっきまで接続していたVRゲームはベッド脇に鎮座する据え置きの専用機でプレイするものだ。
グローブを外し、ゴーグルと一緒にバックスキンを模したフェイクレザーを内側に張った函へ納める。
則宗は部屋の壁を見た。壁面の投影式デジタル時計は正午を指し、この後のスケジュールが空白であることをアイコンで示している。
腹は減らないが日光を浴びて多少外の空気を吸いたい気分だった。外の気温を確かめ、さっき精液を拭ったばかりの手を見やる。
まずはシャワーだ。
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そんな生活を、五年。
疲れはしなかった。そういうものだと思っているから当たり前にこなしていくことができる。ただ、ふとした拍子に思い出してしまう胸の中の巨大な虚は、歳を重ねるにつれ見ぬふりをするのが難しくなっていた。
そんな矢先だ。
たまにはこういう遊びもどうかと勧められたゲームで、かれに出会ったのは。
出会った、というのは少々正確さを欠く表現だ。正しくは、則宗がかれを作った。好みの容貌を——唇の薄さ、歯並び、爪の形に至るまで——作り込むことができるというのが、そのゲームの売りだった。
特定の誰かをイメージしたわけではない。だが、漫然とパーツを選んで並べるうちにぼんやりと浮かんでくる面影があった。遠い記憶の、紗幕の向こう側にいる誰か。
則宗はそれを夢中で再現した。名前は決めなかった。いずれふさわしい名を思い出せるだろうという予感があった。
かれとの逢瀬が暮らしの中心になるのに、時間はかからなかった。浮世の雑事を片付け、心置きなく架空の世界に飛び込む時間が何よりの楽しみになった。
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仕事と称するささやかな社会奉仕の合間に出かけるのも、かれとの時間を楽しむためだ。
『今日は何したの?』
という甘い問いかけに嘘で答えたくなかった。風の冷たさや蝉の声、咲く花の色をかれに伝えたい。
今日は何を話そう。カフェで飲んだ紅茶が少し渋かったこと、けれど一緒に食べたプリンの甘さにはちょうどよかったこと、それからティーコゼーが猫の形をしていたことを伝えたら、かれは笑ってくれるだろうか。
テラス席は店の二階に設けられている。目の前は広場で、その向こうに海とそこに浮かぶ船、そして弧を描く海岸線に沿って街並みがけぶって見える。冬が近い今、海は暗く空は濃い青をしていた。
テラス下の広場を、思い思いの装いをした人が行き交う。
則宗は不思議な気分になった。
こんなにも人間がいるのに、自分が会いたいと願ってやまない誰かはどこにも存在しない。血縁もそれ以外のつながりも、則宗をこの世界に繋ぎ止める絆しにはなり得ないのだ。
自分はこの世からぷっつりと切り離されたような存在だと、そう思った。
空気が揺らいだのは、その心細さが胸に満ちたちょうどその瞬間だった。
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店員に案内されてテラス席にやって来た新しい客が、淡い色のレンズを入れた眼鏡を外しながらメニューを受け取っている。うつむいてページをくる、その顔は長い前髪に隠れてはっきりとは見えない。
それなのに胸の鼓動が大きく跳ねた。
手足は細く長い。ゆったりとした上着の中に隠されている腰もまた細いことは見ずともわかる。
「じゃあこの、本日のタルトセットください。飲み物は……ホットのカフェオレで」
薄い唇から流れ出すのは、ほんの少し掠れたようなざらりとした質感の声。お願いします、と告げるかれの視線がふとこちらへ流れてきた。
まともに目が合う。
呼吸が止まった。
——かれだ。
「き……」
喘ぐように声を絞り出す。意識するより先に、名前が口をついて出た。
「清光」
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戦争の終わりは意外な形で訪れた。
加州清光は、政府からある日突然「あなたの役目は終わりました」と告げられた。
時間遡行軍との戦いにはまだ決着がついていない。なぜ今、と問うと審神者が悲しげに答えてくれた。
刀剣男士は物語の中に存在する刀剣を礎に織り上げられたかりそめの存在だ。付喪神と呼ばれてはいるが言ってみれば粗製濫造された複製品のようなもの。最初は知られていなかったが、戦争が進む中でかれらに耐用年数があることが判明した。戦闘中に前触れなく破壊される男士の数が増え、調査の結果かれらは経年変化により折れたのだということがわかった。
そして、と審神者は言った。
——加州清光、あなたももう間もなく折れるのです。
夢はいつもそこで終わる。
目が覚めると気分は最悪だ。主からお前はもう要らないと宣告されるなんて経験、夢だろうが一度すればそれでもうお腹いっぱいなのに。
自分が刀剣男士だったことを思い出したのは、つい最近のことだ。それまでごく当たり前の人間として生きてきた。進学を機に都心へ出、在学中に始めたモデルの仕事で食いつないでいたある日、撮影で訪れた公園のそばにあった博物館で清光はそれを見つけた。
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則宗。
そのものではなかった。あのじじぃは何かとややこしい存在だったから。
だが、そこに飾られていた太刀は間違いなく、本丸でともに過ごしたあのくそじじぃの魂の一部だった。
思い出した瞬間、胸の中に大きな穴があいた。今まで自分がひとりぼっちだったことを、突然理解した。
清光はその日、博物館のショーケースの前で閉館まで過ごした。涙は出なかった。
街中ですれ違う元刀剣男士たちがわかるようになった。向こうは自覚があったりなかったりで、自覚があっても関わり合いを避けたがる者が多かった。同位体とも知り合った。どうやら加州清光はかつての同僚を懐かしむ傾向が強いらしく、最初のひとりと知り合ったその日にSNSのグループに招き入れられた。
そう頻繁にやり取りがあるわけではないのだが、同位体だけに同じ話題が新参者から出るのもお決まりの流れらしく、
「同じ本丸にいた連中って、わかるものなのかな」
と清光が尋ねると即座に返事が来た。
「今の所会ったことあるやつはいないけど、俺たちがお互いを別本丸の個体だって認識してるわけだし会えばわかるんじゃないの」
「同位体だからわかるだけで、他の男士はわかんないんじゃない?」
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二時間後、則宗は海の見えるカフェのテラス席で紅茶を飲んでいた。外気温は摂氏二十度を切っている上に海風が強く、わざわざテラスに出ている物好きはかれひとりだった。店員がお決まりの気遣いで置いて行ってくれたブランケットと足元だけを頼りなくあたためるヒーターは、それでも日差しのある今なら十分に仕事をしてくれる。
何よりポットから注いだ紅茶が身体を内側からあたためてくれていた。
則宗は貴族だ。
これは単なる比喩だが、しかしかなり正確に則宗の現状をあらわしている。
かれはただ座っているだけでそこらの勤め人があくせく働いても一生手にすることのないような金が懐に飛び込んでくる身の上なので、余剰の時間で社会奉仕をしてごくささやかな収入を得ている。表向きにはそれが彼の生業ということになっている。
生活はごくごく地味で質素だ。着飾りたいとも思わないし、美食にも美酒にも興味がない。美しい家具に囲まれて暮らしたいと思ったこともなかった。
それが課せられた役目だからかれは一文字という家の主をつとめあげ、家督を譲った今も人前に出るときだけはそれらしいふうを装う。華やかで明るく、明朗な人として振る舞う。