ただ、正直言って途中までは、「シーン」を構成する6要素があり、それぞれにいくつかのパターンがあり、気をつけるところがあり……となると、結構しんどくなってきて、「向いてないかも……」と思っていました。
それが22章の「シーン構成のバリエーション」まで至ると、一気に展望が開けました。22章で語られるのは、これらのブロック、特にシークエル部分は極端に短かったり、省略したり、あるいは順番を入れ替えたりしてもよく、それによって要素(ブロック)が完全に揃った「シーン」とは異なる効果が狙える、ということでした。自由度が増す分さらに考えることが多くなりはするのですが、重要なのは、「要素を揃える」ことではなく、「(全要素の揃った完全な)「シーン」との距離を測る」ことなのではないか、という気づきがありました。
なので、いまの自分のスタンスは、「シーン」の要素は本著タイトルにおける「型」であり、それと比較することで、ぼんやりと思い浮かんでいる「シーン」を点検する、あるいは「シーン」が思いつかないときの取っかかりにする、という使い方をすべき、というものです。その意味ではタイトルの“「型」にはめれば”というのとはちょっと違いますね。
こう考えてみると、第一部の三幕構成もそういうものだし、えっもしかして全部そういうこと?! という遅まきながらの理解が訪れました。見事な構成だ……。
個人的には、以前読んだ同著者の『アウトラインから書く小説再入門 なぜ自由に書いたら行き詰まるのか?』(こちらのほうも「やることが多い……!」となった)よりも腑に落ちた気がしますが、いま読み返してみれば理解度が違うかもしれないです。あと『キャラクターからつくる~』もそのうち読もうと思います。おわり。