「社会構造がそのように然らしめている」という理解と「だから問題はない」という結論とは全く別で、というか二つは原理的には独立なのだが、多くの場合、前者は後者を導かない。

では、社会構造などと言わないで問題だけ指摘すればいいのか、というとそれも違う。なぜなら、その場合、加害者を批判したり処罰したりすることはできるし、加害者も時に反省したり再発を防ごうと努力したり(あるいは開き直ったり)するのだが、結局のところまた同じ事態が繰り返されるからである。

もちろん、責任は責任として追及されなければならないのだが、しかし、それによって被害の拡大や再発を防ぐことはできないのだ。このへんに社会問題への対処の難しさがある。

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これって、私で言えば、心理的な問題が関与している(例えば、ネトウヨや安倍晋三やインセルみたいな人たちは、面接受けにきたら、私にとっては単なるクライアントの1人になる訳で、彼らの生い立ちとか聴いて、むしろ彼らがそうならざるを得なかった事情に思いを馳せたりする訳だけど)問題でも、

普通に社会の中で考えれば、罪を犯した人には償ってもらわなきゃならないと思うし、どんな事情があったにしても、他者を虐げたり傷つけたりするのは許してはならないと考える訳で、

ただ同時に、彼らがそうならざるを得なかった生い立ちなどについては、それはそれで、ちゃんと考えていく必要もある、そういう視点も持っていたい、というのの、両方が大事っていうのと同じなんじゃないかな。

別に彼らのことを人間じゃないとは思っていない。だから、何で人間がそんなことをしてしまうんだろう?それは私とそんなに違うことなのか?(いや、違わないはずだ。実際には線引きなんて出来ない)って、悩むのは大事なことな訳で、ただだからと言って「罪に問うのは酷」という話にはならない。

そういうレイヤーの違う話をどちらも考えていくことが大事。

From: @lematin
mastodon-japan.net/@lematin/11 [参照]

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