あと、これ、何度か書いてるんだけど、年寄りの死に皆が仕方ないと何となく思っているのを私は感じるんだけど、これってもう既に何十年もにわたってずっと高齢者の世話(ホームとかに入っていたとしても金銭的な負担とか)を国が家族に押し付けてきて、それが特に最近どんどん負担が増えていることと私は絶対に関係があるとみてる。

親孝行を是とする国民全体に今も根付く道徳観から、福祉の充実などを国に怒ったり訴えたりする人はあまりおらず、「よそ様はちゃんと出来てるのにうちはもうこれで限界」みたいな罪悪感を国民が背負わされていて、他人には言えずにおそらく皆、各家庭で抱え込んで悩んでる。出来る余裕のある人は(本来、そんなに余裕誰もないはずなんだけど)、「おばあちゃんのために、おじいちゃんのために」と自分の人生を捧げていたりするし。

親見ててずっと思ってたし(共産党員なのに4世代同居で、私から見た曽祖母、祖父母を最期まで自宅介護していて、その怒りを子どもの私にぶつけてた)、今、いろんな人の話聴いてても日々実感する。口に出来ないし意識も出来てないかも知れないけど、皆、限界で“荷下ろし“しないともう無理な感じのところまで来ていて、でも自分を責める事しかできなくて誰にも言えず、年寄りが死んでくれてホッとしてしまう自分がいるんじゃないか。

フォロー

年寄りの世話を家族がみるべきだとか、家に帰れない年寄りが可哀想だとか言うのは、私には同意できない。むしろそう言う、日本では特に多い目に追い詰められた家族が増えてることと、成田何某みたいなやつの繁殖は関係あると思うよ。家族を美化する風潮が、家族を追い詰め、無口にし、主張の口を封じて、結果として政治家だけがのさばるような国にしたんだよ。

年寄りの最期は、私は公的な施設ができるだけ負担するのが当たり前の社会が良いな。年寄りも家族から自立した自分の余生を楽しんで欲しい。今の日本で家族を追い詰めるのはどう考えても悪手。しかも家族ったってピンキリだから。本人が戻りたいって言ってる家族が戻って心地よい家族とは限らない。いやむしろその逆の場合も多いだろうし、それはもしかしたら若い頃のその人の生きて来た道とも関係あるのかもしれないんだし。

そこら辺は私はまったくウエットな人間ではないのよね。良いんだよ、それはそれで。だけど、最低限の人間らしい暮らしは公的に守っていけるような社会にしたいよね。その上での悲喜交々はその人の人生でしょう。

fedibird.com/@zpitschi/1098273 [参照]

ログインして会話に参加
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。