あと、これ、何度か書いてるんだけど、年寄りの死に皆が仕方ないと何となく思っているのを私は感じるんだけど、これってもう既に何十年もにわたってずっと高齢者の世話(ホームとかに入っていたとしても金銭的な負担とか)を国が家族に押し付けてきて、それが特に最近どんどん負担が増えていることと私は絶対に関係があるとみてる。
親孝行を是とする国民全体に今も根付く道徳観から、福祉の充実などを国に怒ったり訴えたりする人はあまりおらず、「よそ様はちゃんと出来てるのにうちはもうこれで限界」みたいな罪悪感を国民が背負わされていて、他人には言えずにおそらく皆、各家庭で抱え込んで悩んでる。出来る余裕のある人は(本来、そんなに余裕誰もないはずなんだけど)、「おばあちゃんのために、おじいちゃんのために」と自分の人生を捧げていたりするし。
親見ててずっと思ってたし(共産党員なのに4世代同居で、私から見た曽祖母、祖父母を最期まで自宅介護していて、その怒りを子どもの私にぶつけてた)、今、いろんな人の話聴いてても日々実感する。口に出来ないし意識も出来てないかも知れないけど、皆、限界で“荷下ろし“しないともう無理な感じのところまで来ていて、でも自分を責める事しかできなくて誰にも言えず、年寄りが死んでくれてホッとしてしまう自分がいるんじゃないか。