・無我というのは自己を消すことではない。自己は不変の霊とかじゃなく、他との関係性で成り立ってるものだ、とする見方? 自己を確立することは強く求められてる。
・五比丘への最初の説法で「(相手が)悟った!」と喜んでたのって、自説を理解された喜びだけで言ってない? そも初期においての悟りって、理論を理解して死ぬまで実践して穏やかな心を維持できれば良い、くらいの意味だったりしない? 後世にやたらハードル上がっただけで。
・後の方でキリスト教への対抗心を滔々と語ってるのだけど、東アジアの停滞と、ギリシャ哲学やキリスト教という土壌から生まれた近代的な価値観や現代科学とを見比べるとき、キリスト教を見下すようなこの立場は、なんだかなあと思う。たしかに仏教は殺生を禁じる。しかし国単位民族単位で見ると、それに何の意味があったというのか。
・「慈悲」。それが仏教の中でどう理屈付けられてるのか良くわからない。独り悟ることもできた釈迦が衆生を救うため説法を広める、それが仏教の慈悲なのか?
一切は苦であり、苦は執着により起こり、執着を滅すれば苦が消え、八正道の実践でそれを実現できる。八正道は善を行い悪を禁じるが、これ自体に合理的理由はあるのか?当時の穏健な道徳、または釈迦個人の人格に由来するものでしかなかったりしない?
続くかも
ナヒーダ「多すぎて手が回らないわ…」