自分の「無知」と如何に向き合うか
寡聞にして「モデルマイノリティ」と言う言葉を知らなかったのだが、とても分かりやすい記事。(一度Yahooアプリで見てたの消してしまったら、検索してもなぜかなかなか見つからず、探すの苦労した)
わたしは正直、ミシェル・ヨーのコメントは、真偽はどうあれ、大人の対応と言うよりも「阿ってるな」感じてしまったのだが、このモデルマイノリティと言う問題を鑑みると、ミシェルもキー・ホイ・クァンのどちらも、一概に「大人の対応」としてしまうと、問題の矮小化に繋がってしまう面があるんだとよく分かった。
<米国人にアジア人は見えないのか?>アカデミー賞で再び起きた残念な振る舞い、物議醸したロバート・ダウニーjrとエマ・ストーンの行動の真相(Wedge(ウェッジ)) - Yahoo!ニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/c855df02580ee69e9bebfa659997f40a74afbe74
自分の「無知」と如何に向き合うか
わたしは自分を悪人とは思ってないし、善と悪でカテゴライズするなら善とだと思ってる。(聖人君子って意味ではなく、ごく一般的な良心を持っていると言う意味で)多分、わたしの家族や友人・知人もそういってくれると思う。でも、こう言う人種差別や昨今のウクライナやガザの戦争・紛争を見て、積極的に知ろうとしているか、と問われると答えに窮する。
持論として、「「無知」は悪いことではないけれど、「知ろうとしないこと」は時に悪になり得る」と言うのがある。多分、わたしは悪人ではないけれど、そういう「知ろうとしない」ことで、消極的に悪ではあるんだろうな、と思った。