自分の「無知」と如何に向き合うか
アジアン・ヘイトに関しては、それこそ日本が一番最大なモデルマイノリティなんじゃないかと思う。
実際CIVID-19の発生源が中国と判明してからの、米国含めた西欧諸国でのアジアン・ヘイトが起こったときも、一部では「日本人はそんな目にあっていない」なんて論調もあったけれど、在米の方たちが、日本人だろうと向こうには同じ「アジア人」であり、日本人だけがその例外だなんてあり得ないと反論されていた。これなんて、まさにモデルマイノリティだし、それこそ一昔前の名誉白人よね。
わたしは先の投稿の記事読んで、初めて「モデルマイノリティ」を知って、検索してみたけれど、それこそ今年度のアカデミー賞に関係なくずっと前の記事とかあがってくるんだよね。
自分の「無知」と如何に向き合うか
わたしは自分を悪人とは思ってないし、善と悪でカテゴライズするなら善とだと思ってる。(聖人君子って意味ではなく、ごく一般的な良心を持っていると言う意味で)多分、わたしの家族や友人・知人もそういってくれると思う。でも、こう言う人種差別や昨今のウクライナやガザの戦争・紛争を見て、積極的に知ろうとしているか、と問われると答えに窮する。
持論として、「「無知」は悪いことではないけれど、「知ろうとしないこと」は時に悪になり得る」と言うのがある。多分、わたしは悪人ではないけれど、そういう「知ろうとしない」ことで、消極的に悪ではあるんだろうな、と思った。