『海が…』限らずだけど、若い時に想像する老いって、「心は卑屈」なのに「体は丈夫」というのも、実際に老いに片足突っ込んだ身になると「違~う!」ってなる。
逆なんですよ。メンタルは変わってないのに、体が思うように動かない。眼鏡がないと何もできないし、1日外で活動すると翌日寝込む。65歳で大学通うのも、普段から肉体をそこそこ鍛えていないと無理だと思う。私は3日で音をあげる自信があります。『傘寿まり子』も好きな作品だし面白かったけど、まり子が頑健過ぎて、そこに乗れなかったというのはある。難しいですねえ…。
そして(私は何年か先に遭遇する事態だろうけど)、体が思うように動かなくなったり、病気を複数背負うことによって、メンタルが弱ってくるんです。順番はこれ。フィクションは、そこを逆に設定してるよな…と思う。
あと大事な点として、「年齢」ではなく「世代」によって高齢者像は異なる、というのがある。今の60代と30年前の60年代とでは、まず意識が異なる。若いときの栄養状態に関連して、体型も体力も違う。
何より、その世代ならではの「高齢になったらこうあるべき、という規範意識」が全く違う。そこは一番無視したらダメなところなんだけど、どうも未だに高齢女性は「年寄りでスミマセン」と思ってる、みたいなステレオタイプがあるような。そこが『海が…』に特に違和感を持った理由かもしれない。『メタモルフォーゼの縁側』は『海が』よりも10歳上(作品発表年を考慮に入れると一回り上)なので、また違ってくると思う。