普段から自己責任論が染み付いてるなあという投稿をしているストリートカルチャー系でヒップホップとか聞いてるらしいインスタフォロワーの方が「投票とかヒップホップじゃない」「好きなアーティストが選挙行けとか言い始めたら死ねって思う」とか投稿していてなかなか筋金入りの思想だな(褒めてない)と思いました。こんなことあるんだねえ。

選挙よりストリートで訴えていくぜ、とかではなくたぶん選挙制度や政治関係の言論の知識が足りない裏返しというか強がりが拗れた感じの印象を受ける。

選挙の仕組みマジでわからなくてもう不安だらけだったんだけど嫁に行けと言われて初めて行ってきたよとか言ってくれる年上の人もいるんだけど。

知らないことが恥とされる社会の弊害ですかね。

夫と付き合い始めた頃、「投票したことない」と言うので夫の投票所まで一緒に行って説明したわ、そういえば。
「投票行かないの?」
「え〜分かんないし」
だったな。確かに。

そういえば、自分も親と投票に行ったのが最初だったわ。

政治への意識以前に、当たり前の所作としてどこかで受け継ぐタイミングが必要なのかも。

誰も助けてくれない(教えてくれない)のに知らないことが恥ずかしいこととされているのだからこのように"強く"生きるしかないという感覚があるのかなと思った。
こんなことでは選挙のたびに後ろめたさなんかを感じるだろうし、「投票」を呼びかけることすら高いハードルになっている。

選挙制度の仕組みや政治思想がどんなものか、今の候補者が持っているイデオロギーがどんなもので、どれが自分と合致するのか?
私は学校で教わった記憶がない。思想は合わないけど、親は投票する人たちだったというだけ。

投票所の様子を見ていると、子供連れとか同居人がいる人は一緒に来ている人が多いと思う。
「行け」だけではなくて、投票先を強制しない形で「一緒に投票に行こう」という呼びかけが必要なのかも。

「知らないことは悪いことではない」と言われてもやはり「この歳になってもみんなが知っていることを知らない自分はダサいかもしれない」と自分を責める感覚はあるだろうし、それを持ち越して捻くれてしまった人間には標語ポスターコンテストのような優等生的な呼びかけはたぶんあんまり響かない。
強く見えている存在が偉そうで怖い存在ではないのだし、選挙のことがわからない人でもそれぞれ乗り越えて身につけてきたことはあるはずで、それらと同じように理解することができると伝えるのがいいかもしれない。

「どうしてそんなこと知ってるの?どこで教わるの?」という切実な疑問にも触れたことがあります。
そのあと「よく知ってるね」「立派だねえ」と切り離されることもあるんだけどこのような他者化を防ぎ、繋ぐための呼びかけが必要。

誰にでも初めてのことはあってそれを乗り越えてるし選挙が怖くなっている人たちも他のことを乗り越えてきているはずなのだから大丈夫。
投票も行ってみてくださいね…。
私はコインパーキングの料金計算がマジでわからなくて不安なんですけど今度初めて使わないといけない感じです。

「投票のしかたがわからない」的なやつも「聞けばよくね?」と思ってしまうのだけど、自己責任の行きつく果て、失敗を許さない社会のなれの果てなのかね?

 何かで[要出典]恥の概念は社会から疎外される恐怖から生まれるというのを読んだのだけど、投票の仕方がわからない恥ずかしさというのもそういう自己責任社会から疎外される恐怖から生まれるものなのかもしれない。

 親から抑圧された子どもとかがやたら人の目を気にするようになったり、失敗を極度に恐れるようになるのも親から疎外される経験によるものだよな。それに似ている。

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「投票に行かない人の背景には、投票方法や選挙の仕組みを知らないことへの恥の心理があるのかも」という考察・体験談があり、なるほどと思った。

全ての人がそうとは限らないけど、そういう心理を持つ人も投票に行きやすくするための取り組みは、公私共に必要だと思う。知らないことは恥ずかしいことじゃない。

[参照]

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