「知らないことは悪いことではない」と言われてもやはり「この歳になってもみんなが知っていることを知らない自分はダサいかもしれない」と自分を責める感覚はあるだろうし、それを持ち越して捻くれてしまった人間には標語ポスターコンテストのような優等生的な呼びかけはたぶんあんまり響かない。
強く見えている存在が偉そうで怖い存在ではないのだし、選挙のことがわからない人でもそれぞれ乗り越えて身につけてきたことはあるはずで、それらと同じように理解することができると伝えるのがいいかもしれない。
「どうしてそんなこと知ってるの?どこで教わるの?」という切実な疑問にも触れたことがあります。
そのあと「よく知ってるね」「立派だねえ」と切り離されることもあるんだけどこのような他者化を防ぎ、繋ぐための呼びかけが必要。
誰にでも初めてのことはあってそれを乗り越えてるし選挙が怖くなっている人たちも他のことを乗り越えてきているはずなのだから大丈夫。
投票も行ってみてくださいね…。
私はコインパーキングの料金計算がマジでわからなくて不安なんですけど今度初めて使わないといけない感じです。
誰も助けてくれない(教えてくれない)のに知らないことが恥ずかしいこととされているのだからこのように"強く"生きるしかないという感覚があるのかなと思った。
こんなことでは選挙のたびに後ろめたさなんかを感じるだろうし、「投票」を呼びかけることすら高いハードルになっている。
選挙制度の仕組みや政治思想がどんなものか、今の候補者が持っているイデオロギーがどんなもので、どれが自分と合致するのか?
私は学校で教わった記憶がない。思想は合わないけど、親は投票する人たちだったというだけ。
投票所の様子を見ていると、子供連れとか同居人がいる人は一緒に来ている人が多いと思う。
「行け」だけではなくて、投票先を強制しない形で「一緒に投票に行こう」という呼びかけが必要なのかも。