第45回日本SF大賞のエントリーが始まっています。
青島の作品では以下のものなどが選考対象です。
良かった作品があればぜひ応援ください。
『私は命の縷々々々々々』(星海社)
「標のない」(『零合 第2号』零合舎)
「エンジェル・メーター」(anon press)
「筒の脂」(FFEEN)
https://sfwj.jp/japan-sf-grand-prize/45th-japan-sf-grand-prize-guidelines/
【お知らせ】
「スピン/spin」第9号に短篇小説「うたうきかい」が掲載されます。
生前葬のために祖母のボーカロイドを作る孫のお話です。
肉体から発される声を、なにかを仮託できてしまうやさしい装置へ作りかえることについて書きました。よろしくお願いいたします。
井戸川射子「島の成り立ち」(群像 2024年9月号)がとても良かった。人間の目は人間をとらえやすいようにできているので、あらゆる網目の結節点を人間であるものと感じてしまう傾向にあるのだろうけれど、場所(=島)を成立させているのは生物/非生物を問わないさまざまな存在である。それらはときに擬人化をされ、あるいはときにそれを拒み、影響関係によって互いを混淆させ、あるいは排他し、そうしてつねに境界を変じ続ける。井戸川は「風雨」(『共に明るい』)でも浮遊する視点から蠢く修学旅行生のかたまりを描いていたし、詩集『する、されるユートピア』にもそうした言語実践が多くある。寄せ集められたものたちの、糸を引くような総体が描写されている。
【速くはないけどボーカロイドな曲】
□KAIRUI / 哥
青島のオールタイムベスト。こうなりたい。
https://www.youtube.com/watch?si=NOkAMDpYjbNv4sAu&v=jqZSsdBDh58&feature=youtu.be
□負二価- / サン・バース
中国語と日本語の両方で制作をするPの日本語曲
https://www.nicovideo.jp/watch/sm38991236?ref=nicoiphone_other
□Kyototower / 昇りかけ
均質な声の重ね合わせを活かしたアンビエント
https://www.nicovideo.jp/watch/sm43291491?ref=nicoiphone_other
□とりぽちゅん / telo sewi
音素数のすくない人工言語「トキポナ」を日本語ソフトウェアで歌わせている
https://www.nicovideo.jp/watch/sm42342286?ref=nicoiphone_other
【速いしボーカロイドな曲】
□霧四面体 / 虚像の過多の上に夏
UTAUとSynthVを行き来するなど、合成音声楽曲の制作に対するメタフィクションになっている
https://www.nicovideo.jp/watch/sm42571052?ref=nicoiphone_other
□いよわ / 一千光年 (Kabanagu Remix)
たくさんのボーカロイドが一体になってくしゃっとなっている良い再解釈
https://www.nicovideo.jp/watch/sm42573360?ref=nicoiphone_other
□幾砂襷 / ハイパーサイン
サイン波を切り口に声の記号論を展開する
https://www.nicovideo.jp/watch/sm41960009?ref=nicoiphone_other
「ハイパーサイン」は幾砂襷本人の解説記事がとても良いのであわせてぜひ。
https://note.com/ikusatasuki/n/n24565b2baa8d
SFマガジン「ファッション&美容SF特集」の予告を見て、あらためて『matotte.』のことを考えている。
ファッションSFウェブジン『matotte.』4月号(創刊号)感想|青島もうじき
https://note.com/aojima__/n/n6c814f26a233
二年ほど前に上の記事でも書いたことだけど、ファッションというものが「自分と世界の接点に生じるインターフェイス」であるのだとすると、それは、自分と世界とを往還しながら操作し続けるサイバネティクス的な試みにほかならないのだと思う。
わたしはSFのSF性を「そこに他者の存在すること」に求めているので、SFというのは比喩でなくまさにファッションを意味するのだと考えている。
関連して、フィルムアート社の『クリティカル・ワード ファッションスタディーズ』に収録されている小澤京子による「身体」の項の記述がとても好きで、わたしはよくそれを参照している。
> 装うこと、身体の外貌を替えることは、自己の身体のコントロール権や決定権を自分自身が握っていることの確認となる。しかし他方で身体や身体イメージには、「他者性」とも呼ぶべきものも残り続けるのではないだろうか。(105頁)
こうした思想は『matotte.』にも通底していたように感じる。
【お知らせ】
『ユリイカ 特集=いよわ』に論考が掲載されます。
合成音声の化石は可能であるのかという問いについて、あるいは身体=天体としての「いよわ曲」という総体についての文章を執筆する予定です。
よろしくお願いいたします。
ユリイカ2024年10月号 特集=いよわ
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3973
『SF作家はこう考える』の感想記事を書きました。
作家。豆乳が好き。 『異常論文』(早川書房)、『私は命の縷々々々々々』(星海社)、『破壊された遊園地のエスキース』(anon press)など。