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お題:レバノン空爆における米国の姿勢と、国際法の理念には、深刻な乖離がある

◎事実
9月27日、イスラエルがレバノン首都ベイルート南郊の市街地に80発以上といわれる「バンカーバスター(地中貫通爆弾)」を投下し、地下で会議中だったヒズボラ指導者ナスララを殺害した。複数のビルが倒壊。レバノン保健省は、巻き添えで100人以上が死傷したと発表した。
asahi.com/articles/ASS9Y3RWMS9
mainichi.jp/articles/20240929/
cnn.co.jp/world/35224386-2.htm

◎米国の姿勢
9月28日、米バイデン大統領はヒズボラ指導者ナスララの殺害を「裁き」と呼び正当化。「イスラエルの自衛権を全面的に支持する」と言明した。その後「ガザとレバノンで続く紛争を外交手段で沈静化させることが最終目標」とも述べた。

◎ローマ教皇の発言
ローマ教皇フランシスコは29日、レバノン空爆を「道徳の範囲を超えている」と批判した。「戦争は不道徳だが、ルールにより一定の道徳性が実現する」「防衛は常に攻撃に比例していなければならない。不均衡が生じると、道徳を超える支配傾向が生まれる」と述べた。
jp.reuters.com/economy/ZHNS7EW
(続く

雑感:
イスラエルは、いまの期間——バイデン米大統領が大統領選候補から降りてレームダック状態となり、米国の次期大統領が登場するまでの間——を「好き勝手に振る舞える時間」とみなし、戦線拡大に勤しんでいるようにすら見える。

米国は、イスラエルの「自衛権」なるものの全面支持を改める考えはない。つまりイスラエルの好き勝手を止める圧力は存在しない。

ローマ教皇の発言は、イスラエルや米国を動かす政治力はないかもしれないが、正当性がある言葉として記録したい。

グテレス国連事務総長はガザ情勢に関して「戦争にもルールはある」と述べたが、これと共通する考え方だ。国際法を含む法律分野では「比例原則」は重要な考え方だ。

雑感続き:
ローマ教皇フランシスコは、信徒に向けた宗教的な発言ではカトリックの教理に基づき聖書を引用して発言するが、今回のような非宗教的・政治的な発言では、宗教色を排し、国際法や倫理学に基づいて全地球的に通用する普遍的な言葉を組み立てている。その結論は、国連のステートメントとおおむね一致する(同じ証拠と同じロジックに基づいているからだ)。

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